文と写真・室橋裕和

バックパッカーに人気が高まっているウズベキスタン。その西の果て、砂塵吹き荒れる荒野には、かつて豊かな海があり、そして国境の街があったのだ。しかしいまは「墓場」と呼ばれる場所となってしまっている。

 

アウェーの中央アジアをゆく

 きわめて無機質な街並みであった。旧ソ連とは、かつての東側とはこういうところだったのだろうか。生活の匂いをあまり感じとれない、硬質でモノリスのような団地が、コピペのように立ち並ぶ。

 気持ちまで沈んでくるような曇天なんである。ちらちらと雪が舞っている。人々はみなコートの襟を固く閉め、円筒形をした毛皮の帽子をかぶって分厚いブーツを履き、黙々とどこかに急いでいる。あまり笑顔は見ない。僕がふだん能天気に歩いている東南アジアとはまったく違う、沈鬱な世界なのであった。

 

 シャツ一丁のいつもの旅ではなく、僕も重たいコートを着込んでいた。首都タシケントのバザールで、値切って50米ドルを支払ったシブい革製である。バンコクから降り立ったときにはセーターしか着ていなかったのだが、僕は冬のウズベキスタンをナメていた。朝晩の気温はたいていマイナス、日中もたいして暖かくはならない。北海道民からすればヌルいかもしれないが、常夏のタイからやってきた身にはこたえた。おまけに元社会主義国独特の、人工的で直線的で画一的な街並みもなんだか寒々しく映る。

 こんなときはロシア人がつくりあげたソ連スタイルの新市街ではなく、ウズベク人の伝統的な旧市街に足を運んだ。入り組んだ石畳の路地に子供たちが遊び、食堂の軒先でヒゲ面のおじさんが大鍋を振るい、絨毯やチーズやナンを売るバザールも連なっている。飾らない賑わいと活気が心地よい。

 

 しかし……ウズベキスタンの西の果て、キジルクム砂漠に囲まれたこのヌクスの街に来てみると、旧市街はほとんどなく、どこに行ってもコピペ団地ばかりが連なっているのであった。そしてとっても静かなんである。風の鳴る音ばかりなり。見るものもとくにない。気が滅入ってくる。ロシア人の社会計画のセンスを疑うが、それでもヌクスにはどうしても来たかったのだ。

 

ヌクスの住宅街にはこんな団地が等間隔に立ち並び、なんだか不気味なんであった

砂漠の真っ只中を、ひたすらに北西へ

 かろうじて簡単な英語が通じたホテルでチャーターしたのは、おんぼろのロシア車だった。年代モノなのだろう。無骨で角ばった車体についた、まん丸の目玉のようなヘッドライトはなかなかかわゆいのだが、乗り心地は最悪だった。シートが薄くてしかもサスペンションがガチガチだからか、やたらと揺れるしケツも痛い。しかしそんなことを忘れるほどに、僕は車窓に夢中になっていた。

 地平の果てまで砂漠が続いているのだ。乾いた荒地とわずかな雑草。360度それだけなんである。人口的なものといえば、道路と、平行する送電線だけ。我らがグーグルマップを立ち上げてみると、茫漠とした大地に100キロくらい、ヌクスから北西に向かってほとんど直線の道が延びている。ロシア人の執念に呆れるが、熱帯アジアでは見ることのない砂漠の光景は飽きることがなかった。

 

 3時間ほどかっ飛ばしただろうか。

 ようやく小さな集落が見えてきた。暮らしの気配にほっとする。しかし相変わらずのコピペタウンには歩く人も少なく、風が強いのか葉を落とした木々の枝が揺れ、実にさみしい。ほとんど廃村のような印象を受けたが、ここモイナクはかつて、ウズベキスタンを代表する豊かな「港町」だったという。

 

ひたすらに寂しくて寒いモイナクの街。昔は賑わっていたというが……