文と写真・室橋裕和
タイ、ラオス、カンボジア。3つの国がせめぎあい、国境線を重ねる、その名も「エメラルド・トライアングル」を目指して僕と先輩記者S氏は旅立った。タイ東北部ウボン・ラチャターニーからレンタカーでかっ飛ばし、3国国境を目指す。
■山中にあるはずの国境地点を探して
「ムロハシ号、この道でいいのかね」
「たぶん……」
ハンドルを握るS先輩をスマホの地図でナビするが、自信はまったくない。国道2248号線を離れて細かな支線に入ってからは、地図の表示はなにやらあいまいになり、どこを走っているのかいまいちわからない。
だんだん道が細く、くねってきた。上り坂だ。恐らく3国を分かつ国境の峰ダンレック山脈だろう。ガタガタ道の左右には、昨今JKを狂喜させているタピオカの畑が広がり、収穫するトラックとすれ違う。人家はない。畑と、人の手の入っていないヤブや林がひたすらに続く。
稜線を巻くように連なる無数のカーブを右に左に、少しずつ標高を上げていく。そして何十か所めかのカーブを曲がったところに、唐突に人工物が現れた。背の低い建物がいくつも並ぶ。屋根の迷彩、積まれた土嚢や、張り巡らされたバリケード。タイ軍の施設だろう。そして道はさらに山頂のほうへと続いているのだが、柵でふさがれ、先には進めない。

■タイ軍の基地で旅はストップ
クルマを停めて外に出てみる。緑深い山中だ。ここがエメラルド・トライアングルとやらなのだろうか。
「おーい、だめだめ。そっから先には行けないよ」
振り返ると、軍服姿のアニキだった。
一瞬、身構えた。緊張感が走る。なにせ僕たちは外国人なのである。センシティブな国境地帯をうろつく不審者といわれたら実際その通りなわけで、スパイと疑われても無理はない。
そこで我がS先輩がクルマからなにやらごそごそ取り出だしたるは錦の御旗、タイ外務省正式発行の記者証であった。そんなもん持ってもいない僕とは違って、さすがはモノホンのジャーナリストなのである。
が、アニキは記者証を大して興味もなさげに一瞥すると、聞いてもいないのにのんびりと話し出す。
「この道を行くとなあ、知ってるか。すぐカンボジアとラオスになるんだよ」
国境の緊張も警戒もなにもない。要はヒマなのである。クロンティップという労働者御用達のきっついタバコをふかしながら、アニキは続ける。
「柵からもうちょい進むとなあ、右側がカンボジア領になるんだよ。あっちの村からクメール語のカラオケが聞こえてくることもある。左手はラオスで、向こうの軍がいるんだ。おもしろいだろ」
そんな言葉に俄然、国境地点まで行きたくなってくる。まさに国境のトライアングルではないか。しかし記者証があろうと入れるのはこの施設までで、3国の国境ポイントは軍の領域なのだという。どうやらここでストップのようだ。

■30年前の戦争遺物が残っていた
「ほんならまあ、ちょっと寄ってくか」
さすがは僻地の駐屯地、軍のアニキはいきなりやってきた外国人を怪しむでもなく、施設内に案内してくれるのであった。僕たちが不法国境越えを目論む逃亡犯や麻薬の密輸犯だったらどうするつもりなんだろうか。
「ここはレンジャー部隊の基地なんだよ」
森の中に隠れるように、迷彩カラーの小屋がいくつも立て込む。浅黒い顔の精強な男たちがうろうろしているが、だからといってこの国境が紛争を抱えているというわけではない。どの国も国境線に沿って、要所要所にこうしていちおう基地を築いておくものなのである。
が、あちこちに並べられたでっかい砲弾の残骸が気になった。どう見たって使用済みのミサイルやらバクダンやらが、戦利品のごとくわらわら並べられているのである。
「そりゃあな、30年以上前のもんなんだ。みいんなベトナム軍が撃ち込んできたやつ」
1978年のことだった。対米戦争を勝ち抜いて南北統一を果たし、平和を取り戻したはずのベトナムは、カンボジアに侵攻。「あのかわいそうな、悲惨なはずのベトナムがなぜ」と世界は仰天したのだが、背景には両国の歴史的ともいえる敵対関係があった。詳しい解説はWikiあたりにゆずるが、実戦経験の鬼ともいえるベトナム軍の進撃は速く、広く、あっという間にカンボジア全土を制圧した。かのポル・ポト率いるクメール・ルージュ政権を一気に追い落としたのである。
東からなだれ込んできたベトナム軍によって、ポル・ポト派は西の果てのタイ・ラオス国境に追い詰められた。そこへベトナム軍の砲弾が雨あられと降り注ぐ。
「その一部はなあ、国境を侵犯してタイ領にもドカスカぶち込まれたんだよ」
遠くを見てアニキは述懐するが、年齢的にあんたその頃まだ生まれてないだろ……という突っ込みはヤボなのでスルーしつつ基地内を見学させていただく。
「まだ国境線に沿って当時の地雷がけっこう残ってるんだ。いまだに爆発することもある」
それもあって軍が入域制限を張っているのだ。かのインドシナ戦争が、この国境ではまだほんの少し続いている……思わずエリを糺した。僕は本連載#25でクメール・ルージュ最後の拠点パイリンを、さらに#17ではやはりS先輩とポル・ポトの墓を訪れている。これでカンボジア現代史の現場もだいぶ制圧してきたな、と満足感が去来する。オッサンになるに従って、人はナゼか歴史モノに異様な興味を示すようになるものなのである。

■将来的には観光スポットになるかもしれない
結局、エメラルド・トライアングルとやらにあったのは駐屯地だけだった。観光地もなにもない。地雷の撤去がまだ進んでいないのだ。そのためカンボジア、ラオスも含めてエリア全体での道路網などインフラ整備もこれから。そもそもが深い山の中なので、どの国からも見放されてきたような場所なのだ。
TAT(タイ政府観光庁)がいちおう開発に乗り気なようで、だから観光地図とかグーグルマップにもポインティングされてはいるし、あちこちに看板もあるが、実情はぜんぜん手がつけられていないのであった。
それでも、ここに立っている。僕はエメラルド・トライアングルを征服したのである。「なにもない国境である」ということを確認する。それはアジア国境踏破を目指す者にとって大事な作業なのである。いつまでも余韻に浸って基地の写真を撮りまくる僕を、S先輩がクラクションでもって、さっさと帰るぞと促した。
そこに走りこんできたのは、ウボン・ラチャターニー県庁のクルマだった。
「役所の人たちだよ。資源局だね。よく視察に来るんだ」
見送りに出てきてくれたアニキが呟いた。地元の自治体や業者の間では、エメラルド・トライアングル開発の動きが少しずつ出てきているようだ。もしかしたら、何年後かにはここも正式な国境になって、カンボジアやラオスと行き来できるようになるのかもしれない。

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