文と写真/室橋裕和

 

 

僕はアンコールワットの街シェムリアップを経った。目的地は誰も知らないカンボジアラオス国境、カンポン・スララウである。バンを乗り継ぎ、どんどんとカンボジアの奥地へと侵入していく。
 

泊まるところもなにもない?

 もうもうたる砂嵐の中を、バンは突っ走っていた。アスファルトなんて近代的なものはない、カンボジアの北辺である。クルマやバイクが走れば砂煙が巻き起こるわけだが、こんな僻地でもけっこう交通量はあるようで、視界は常に霞んでいた。道の左右の木々は、もう真っ茶色である。主要な道はだいぶ舗装が進んだとはいえ、地方へ分け入っていけばまだまだこんなところばかりだ。昔ながらのカンボジア・トレイルである。だけど車内に鳴り響くカンボジア演歌は、なかなかに陽気なのだった。

 2時間ほど走ったころだ。

 ゆるゆるとバンはスピードを落とし、小さな集落で停まった。運転手が振り返る。
 「カンポン・スララウだよ」
 ここが目的の村なのだろうか。促されて、降りてみる。

 数十年、時をさかのぼったような景色が広がっていた。赤土の道の左右に、木造やトタンの古びた住宅。背の高いヤシ。そこらをつついているニワトリや寝そべっている犬。静かだった。クルマ代わりなのかトラクターに乗ってどこぞへ走っていく人々から、奇異の視線が注がれる。

 反射的に、やばいと思った。発進しようとするバンに駆け寄り、運転席にしがみつく。
 「あのあの、ここホテルとか……」
 「はあ?」
 通じない。お手々でマクラをつくっておねんねするポーズを決める。
 「アア!」
 頷いて、運転手は赤土の道の果てを指し示すのだ。あっち。あっちのほう。そう言っているのだろうとは思う。思うが、そこには小さな家や簡素な店がちらほらと並ぶだけなのだ。これは泊まるところもメシ食うところもないのでは……そんな不安が渦巻くが、バンはさっさと走り出してしまった。ぽつんと村にひとり、取り残される。

 気を取り直すんだ。そうだ僕には現代のガジェットがあるではないか。カンポン・スララウをグーグルマップで見たときに、たしかゲストハウスが記載されていたはずだ。

 スマホを取り出してみる。いちおう電波はある。マップ上に輝く頼もしい宿マークは現在位置のすぐそばだ。ほっとして歩いていってみるが、そこは単なる民家であった。申し訳程度の雑貨屋が併設されている。不審げに出てきたおばちゃんに「ホテル?」と聞くが首を横に振るばかり。待って、ちょっと待って。翻訳アプリを立ち上げて、クメール語でホテルと表示させ、画面を見せる。同じだった。

 お隣には軒先でサカナを干しているおじさんがいた。やはり困った顔をするばかり。おろおろして何人かに聞きまわってみたのだが、この小さな村に泊まる場所は見当たらないのである。血の気が引いた。ではどこかに移動しようにも、きっと僕が乗ってきたあのバンが外界とを結ぶ唯一の公共交通に違いない。あとはトラクターかおんぼろバイクの世界なのである。

 

カンポン・スララウの中心部。カンボジアでもとりわけ、きわめつけのイナカであったのだ