文と写真・室橋裕和

コロナに負けず、東京を歩いて旅しよう 

旅の原点とは、なんだろうか。
それは歩くことだと思うのだ。遠く離れた海外でなくてもいい。日本の、自宅の近くにだって「あ、このあたりあまり歩いたことない」「こんな店あったっけ」なんて場所がきっとある。そんな路地を、興味のままにさまよってみる。
あの角を曲がったら、どんな街が広がっているんだろうと、どんどん足を延ばしていく。
旅というのは移動しながら好奇心を満たし、なにか発見をしていくものだと思っている。であるなら、コロナ渦巻く中で閉ざされてしまった海外でなくても、自宅の近所だってリッパに旅は成立するのである。
ソーシャルディスタンスを保った散歩であるならば、「三密」には当たらない。むしろ日々の健康維持に重要であると、国の専門家会議とやらが提唱している。それならば、遥けきアジアの国境が遠いいま、僕の住む新宿区を拠点に各地を歩いて旅してみようではないか。
もちろん当連載のテーマも忘れてはならない。まず向かうは西である。そこに広がるサブカルの街・中野区へと越境しよう。新宿区・中野区の国境地帯にはいったい、なにがあるのか。言うなれば「越えて区境、迷って東京」といったところである。

 

新大久保から、職安通りを渡って歌舞伎町 

 出発地点は我が家のある新大久保だ。

 コリアンタウンという枠を超えて、東南アジア、南アジア、ムスリム、アフリカ系など雑多な人々が住みつく、ごちゃごちゃな多国籍タウンだが、やはりコロナの影響は大きい。本当に人が減った。平日だって、韓流を楽しみにきた日本人女子たちで歩道があふれかえっていたものだ。3月下旬くらいまではハットグやタピオカの店にたむろす女子たちも見られたが、いまやほぼ皆無、観光客は消えてしまった。

 それでも、生活者としての外国人はたくさんいる。留学生たちは学校の再開を待ちながら、アルバイトをしてしのいでいる。コンビニやスーパーやドラッグストアでも、感染の不安を抱えながらたくさんの外国人が働く。

 

 そして、改めて歩いてみると、テイクアウト対応するレストランがずいぶん増えたなあ、と思う。大久保通りから、新大久保駅すぐ西の一番街を歩けば、韓国タイ、ベトナム、インドネシア、中国、ネパール……それぞれの店がコロナに負けじと弁当で対抗し、けっこう人気になっているのだ。どうにかみんな、生き残ってほしい。

 新大久保から、職安通りを渡って歌舞伎町に入る。

 東洋一の歓楽街と言われたこの地も、夜のお店がクラスターと化し、多数の感染者を出してしまった。以来ほとんどゴーストタウンになっていたのだが、それでも夜になるとシンと静まり返った暗がりから客引きが寄ってきて、

「さ、どすかヌキとか」

「ギャンブルとか興味ないすか」

 なんて話かけてくる。恐ろしいのはこの人々、マスクをつけていないのだ。声が通りにくいから、という理由らしいが、怖くないのだろうか。

 

コロナ禍の歌舞伎町の様子。飲み屋、風俗は壊滅状態 (2020年4月)

■かつて東京を襲った感染症があった 

 この歌舞伎町の一角は、実は明治時代にも疫病の流行に晒されている。コロナではなく、コレラであった。猛烈な下痢と高熱を伴うこの病、インドからバングラデシュにかけての地域が「原産」らしいが、19世紀に世界中に拡散し、何度もパンデミックを起こしてきた。日本には1822年(文政5年)に上陸、以降は幕末にかけて数十万の犠牲者を出し、人がころりと死んでしまう有り様から「虎列剌(コロリ)」とも呼ばれたらしい。

 やがて明治に入ると、少しずつコレラの治療法が確立していく。大事な点はコロナと同じだ。患者を隔離して、社会との接触を防ぎ、伝染させないこと。そのために、東京各地につくられたのが「避病院」、つまり隔離専門の病院だ。そのひとつが、この地にあったのだ。

 明治初期は歓楽街もなく、まだまだ畑も広がるのどかな郊外だったらしい。そこに建てられた大久保避病院は、コレラ患者が苦しみ死んでいく場所としてずいぶん忌み嫌われたという。江戸っ子は「ひ」を「し」と発音するが、だから「避(ひ)病院」は「死(し)病院」なんて呼ばれることもあり、日本がコレラを克服する20世紀初頭までは人の近づかない場所だったともいわれる。

 関東大震災によって大きく被災した大久保避病院は、その後さらに第二次大戦時の東京大空襲を経て、戦後の再開発の中で建て替えられ、地域を代表する大型総合病院、大久保病院へと生まれ変わった。

 病院のすぐ前にある大久保公園はよくフェスで使われるが、いまはイベントもすべて中止だ。公園の一角には喫煙所があったが、近隣のサラリーマンたちがマスクもせずに「密集」「密接」してタバコを吸いながら談笑していた。目の前の大久保病院では防護服姿の人々が救急車から患者を運び入れているのに、なんという温度差なんだろうかと思った。

 

いまは人もまばらな大久保公園。その奥は大久保病院だ。かつて「避病院」がここにあった