最初にお断りしておくが、私はワインに関してはまったくの素人である。イタリアは世界に名だたる高級ワインの生産国だが、ここに住み始めた頃は有名ワインの名前を聞いてもそれがどんなものなのか想像できなかった。ワインに対する私の意識が180度変わったのは今から20年以上前、初めてオルチャ渓谷を訪れた時だった。ふらりと立ち寄ったモンタルチーノという小さな中世の街で味わった1杯の赤ワインに、目から鱗が落ちるほどの衝撃を受けた。 

 

四季折々の自然美が「絵のように美しい」と表現されるトスカーナの丘陵地帯・オルチャ渓谷。ここは世界に名高い赤ワインの産地でもある。
丘陵地帯に広がる葡萄畑。葡萄棚は果実に平等に日光が当たるよう、すべて南北に直線に作られるということを教えてもらったのも、このオルチャ渓谷だった。

 

 初めて訪れたモンタルチーノで、私は幸運にも「ブルネッロ祭り」という特産ワインのお祭りに遭遇した。広場や通りに地元のワイナリーがテントを並べ、好みのワインをグラスで飲めるようになっていた。ワインど素人の私は、ワイナリーのおじさんに正直にそう伝えた。するとおじさんは、「シニョーラ、だったらこれを一杯飲んでみな。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの魅力がすぐにわかるはずだ」と言って、赤ワインが半分だけ入ったグラスを差し出した。確か、当時のお値段で7ユーロだったと記憶している。今でもボトル1本10ユーロも出せばそこそこ美味しいワインが買えるイタリアで、グラス一杯(実際には半分)が7ユーロ、しかも20年前の相場だから、そのワインが高級だったことは間違いない。

 

モンタルチーノの中世の城壁から周囲の丘陵地帯を望む。「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」の銘柄を名乗れるのは、このエリアの厳選されたワイナリーで作られるワインのみ。
小さな中世の街の随所に特産のワインを販売するエノテカや試飲もできるワイナリーの直売所がある。土産物屋でさえ、高級そうなボトルを置いている。バールでもグラスでワインを楽しめる。

 ど素人の私に、おじさんは「正しいブルネッロの味わい方」をつきっきりで伝授してくれた。まずはグラスに鼻を突っ込んで、香りを存分に楽しむ。それから一口啜って、口の中でワインをグジュグジュし、鼻腔で香りを堪能。次にもう一口含み、今度は舌の部位ごとにワインを移動させながら味の違いを感じる…。おじさんの指導どおりにワインを舌の上で転がしていくと、なんとも不思議なことに、同じワインなのに味わいも香りも全然違ってくる。爽やかなフルーツの味と香りを楽しんだと思った直後、今度は胡椒のようなピリッとスパイシーな味わいが広がる。一口ごとに万華鏡のように変化するワインに驚嘆し、グラスを覗き込んで思わず唸った。「これ、同じワインよね?」と驚く私に、おじさんは得意げに腹を突き出して言った。「この味わいの多彩さと奥深さこそ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノだけが持っている魔力なのさ」。ブルネッロのその魔力を体験して以来、私はワインを単なる料理のお供として見ることができなくなった。

 

どっしりと重厚な高級赤ワインは、料理のお供には適さない。それを知って以来、赤ワインを楽しみたい時はまずワインの性格を教えてもらい、それに合う軽めのおつまみをソムリエに選んでもらうようになった。