12月23日 [THU] 

 五穀米など健康感満載の朝飯をいただき、午前中、一人で港にある郷土資料館を見て、島のはずれにある「ヌチドゥタカラの家」をたずねた。反戦地主の反戦活動家・阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さんの激しい遺志が込められているのは展示を見ればわかる。館長の謝花悦子さんにご挨拶して、すこし取材させていただく。資料館は来館者はたまたま誰もいなかったので、照明がついていなかった。スタッフの方にスイッチの位置を教えてもらったが、薄暗い館内に足を踏み入れると、いまだに血の臭いや叫びが充満している気がして、一瞬、からだが凍った。照明をつけると、すぐ右手にぼろぼろの小さな着物が展示されていた。泣く子どもは利敵行為だという理由で、日本軍は母親の腕に抱かれていた赤ちゃんを銃剣で刺し殺し、母親の胸から赤ちゃんはすべり落ちて、着物だけで母親の手に残ったという。その着物だ。銃剣や血の痕が残る。立ちつくしてしまった。

 昼に、昨日お会いした故人の親族の方何人かと合流。昨日聞き忘れたことなどを取材をさせていただく。昼飯は親族の方に島内を案内してもらいながら、海を見渡せるレストラン(ゴルフ場に併設)で、豆腐を味噌で炒めたものを食べる。そこから、城山の中腹あたりまで行ける展望台や湧出(ワジー)という水源地、米軍の演習地、防空壕として千人を収容したとされる千人洞(ニャティヤ洞)などをのろのろとクルマを走らせ案内してもらった。芳魂之塔(村民・軍人3500人余の霊を弔う碑)にも参った。ずらりと並べ立てられた石板には、摩文仁の「平和の礎」のように死者の名前が刻まれている。戦闘で命を落とした人もいれば、戦闘がきっかけで病になり、亡くなった方の名前もある。私が取材した故人の方の親族の名前も刻まれていた。誰々の次男とか長女、といったふうに刻まれている箇所もそこここに目につく。一家が全滅したため、親の名前しかわからず、子どもの名前が不明なためだ。昨日から小雨が降り続いていたが、寒さと海風、荒れた海の波しぶきが身体にのしかかってくるようだった。だからか、身体が重い。夕方に親族の方と別れ、民宿へ帰る。今日も晩飯を食べていけばいいさというお誘いは固辞させていただき、コンビニで弁当を買って民宿で食べた。

 親族の方からは「離島」ゆえにかかえる問題もいろいろと教えてもらった。島には「十五の春」という言葉があるそうで、それは、島内には高校がないため、一つしかない中学を出ると、高校進学のために「本島」に渡り、寮生活や一人暮らしを送ることになる。しかし、その年齢の子どもにはいきなり親元から離れる生活に耐えきれず、寂しさゆえに高校を辞めてしまう率が高いのだという。それを「十五の春」と呼ぶという。伊江島と本部町(港)とほぼ等距離に瀬底島があり、こちらは架橋されている。伊江島にも架橋すれば ─海底トンネルにすれば天候に左右されない)─ 本島の高校へ伊江島から通学することができる。島を出て生活したい者は寮生活でよいし、多少時間がかかっても島から通いたい者もいるだろうから、選択肢ができる。島内の若者人口もたぶん上がるだろう、とぼくは思った。

 今は四千人ぐらいが暮らしているそうだが、うち有権者が三千人ほどで、さらにその7~8割が後期高齢者だと聞いた。医療の面などでも利便性が格段に上がる。緊急のときはドクターヘリが飛ぶそうだ。

 

12月24日 [FRI]

 今朝も健康感あふれる朝飯をいただき、朝八時のフェリーで本部港へ。置きっぱなしにしておいてレンタカーで沖縄市美里へ。本部や名護で会いたい知人が何人もいたが、美里での約束に間に合うように急ぐ。美里でたまたま見かけて入った「桃原」という豚骨ラーメン屋がなかなか美味かった。美里の宮脇書店(ここに本部機能がある)へおじゃまして、バイヤーの渡慶次正哲さんに『沖縄ひとモノガタリ』のプロモーション。じつは今日の午後に刷り上がってくるので、実物がない。どんな本かを説明するために最終ゲラ刷りを見てもらう。先日のTSUTAYA本部でも同じことをした。

 そのあとは琉球新報社へ行って、刷り上がったばかりの本を受け取る。感慨深い。手に持った感触もなかなかいい。発送の手配などを、新報社の流通・プロデュース等を担う「琉球プロジェクト」の前原智美さんといっしょにやって、レンタカーを返却した。『沖縄ひとモノガタリ』に登場してもらった珈琲屋台「ひばり屋」の辻佐知子さんに本を届けて、珈琲を淹れていただき一休み。そのあとはいつものセンベロ寿司「米仙」へ行き、深谷慎平さんともろもろ打ち合わせながら日本酒を呑む。途中でミュージャンの木村華子さんも来た。帰りに台湾料理屋の「華」に寄って、明日の朝飯(餃子とニンニク炒飯)をテイクアウト。今日は25度も気温があった。両店ともほぼオープンエアなので、風が心地よい。帰還してスマホを見たら、眼鏡(老眼鏡)を新報に忘れてますから受け付けに取りに来てください、というメールが「琉球プロジェクト」代表の仲村渠(なかんだかり) 理さんから来ていたのに気づいた。

 

12月25日 [SAT] 

「華」で昨夜買っておいた餃子とチャーハンを食べ、仕事の前に新聞を読む。24日付の「沖縄タイムス」には、[自衛隊と米軍が、台湾有事を想定した新たな日米共同作戦計画の原案を策定したことが分かった。有事の初動段階で、米海兵隊が鹿児島県から沖縄県の南西諸島に臨時の攻撃用軍事拠点を置くとしており、住民が戦闘に巻き込まれる可能性が高い。]とあった。沖縄の新聞の一面や社会面には、政府が沖縄をどう見ているのかがわかる。「沖縄」を戦場としか考えていないのか。東京の新聞では報道されたのだろうか。何十年経っても沖縄は捨て石なのか。夜は東京からやってきたパートナーと松山の「酒月」へ行って師走のご挨拶と晩飯。鯖の棒寿司が美味い。