私の出身地は広島県。広島と言ったら牡蠣。牡蠣で鍋と言えば、「土手鍋」……ってことで、今回、「鍋料理」というお題をいただいたのも、その登場を期待してのことではなかろうか。
だとしたら、非常に申し訳ないのだけれど、私にとって「牡蠣の土手鍋」は、遠い、遠い存在だ。生まれて此の方、一度も食べたことはないし(いや、お土産用の缶詰なら、あるかも)だいたい、写真や映像などで目にしたことはあっても、本物を目の前で見たこともない。
牡蠣の土手鍋に親しみがないのは、私だけではないようで、家族と一緒に家で牡蠣の土手鍋を囲んでいるというような地元の友だちの話は聞いたことがないし、親戚も実家のご近所さんも同様だ。
私のふるさとは広島県と言っても県東部だからか?
とも思い、何人かの広島市民にも尋ねてみたが、家で普通に牡蠣の土手鍋を食べているという人はいなかった。
家から歩いて100mくらいのところに養殖用の牡蠣棚がある海の近くで生まれ育ち、今もそこに暮らす広島市民にも聞いてみたけれど、「一回か二回くらい、試しに作ってみたことがあるくらいじゃね」ということだった。
牡蠣の土手鍋は広島県の郷土料理と言われている(らしい)。
しかし、普通に食べている人が見当たらない料理の、どこが郷土料理なのだろう。
「『酔心』(広島料理専門店)かなんかが後付けで考案した料理じゃないんか?」
件の牡蠣棚近くの広島市民は言った。
うーん、そういうことでもないようなのだけれど、とにかく牡蠣の土手鍋は、「いったい、誰が食べようるん?」という〝謎〟の郷土料理なのである。もしかしたら、特定の地域や、例えば牡蠣の養殖を生業としている家庭など限られた人たちの間では、非常にポピュラーな存在なのかもしれないが。
じゃあ、広島県人にとっての「鍋料理」は何なのか。
よその家ではどうだか知らないけれど、我が家では、「鍋」と言えば「水炊き」だった。であるから、ある時期まで私は、「鍋」と「水炊き」はほとんど同義語だと思い込んでいた。「ちゃんこ鍋」くらいは聞いたことがあったけれど、それはお相撲さんの世界の特別な鍋料理で、一般の人はみんな、水炊きを食べていると信じて疑っていなかった。
ところが、である。
進学のために上京して、いろいろな地方の人と知り合い、また、大人になって、ちょくちょく外で飲食をするようになり、世の中には、実に様々な「鍋」があることを知った。
と同時に、私の中で、水炊きは、どんどん色褪せていった。
だし昆布は入れるものの、ただお湯で材料を煮てポン酢つけてたべるだけのものを「料理」と呼べるのか!?
なんてことも思うようになったりして、家でもあまり水炊きを食べない時代が続く。帰省した際、たまに水炊きが出てきたりすると、「まったく、お母さん、手抜きしちゃって」などと思ったりして。

が。
ここ数年来、私が家で作る「鍋」はもっぱら水炊きだ。
あっちこっち浮気して、昔から寄り添っている相手の良さを再確認したとでも言えばいいのだろうか。
ちゃんと手間暇かけてだしを取った寄せ鍋も確かに美味しいと思う。
トマト鍋だのカレー鍋だの豆乳鍋だのと、変わり種もたまにはいい。
それがウリという京都のお店で食べたクジラと水菜のはりはり鍋、長野のどこかのお宿で食べた、裏の沢から摘んできたという瑞々しいセリがふんだんに入ったセリ鍋……。旅先でいただく〝よそ行き鍋〟も悪くはないのだけれど、日常的に食すなら、私にとっては、やっぱり水炊きなのですよ。



「あんなもん、ポン酢の味しかしない」と、のたもうた人もいるけれど、んにゃ。
ポン酢の量を加減すれば、ちゃんと素材の味がするじゃないですか。
素材の味が一番生きるのは、私は水炊きだと思う(独断ですが)。
それに、ポン酢や薬味を変えてみたり、その量を調整してみたりすることで、微妙な味の変化が楽しめるし、個人の好みも尊重できる。
鍋を囲む人全員の同意が得られれば、途中で味のチェンジができるのも、水炊きのいいところ。「そろそろ、みんな飽きてきたかな~?」ってところで、キムチとかコチジャンとかをどっさり投入すれば、韓国風の鍋に早変わり! ってことができるのも、水炊きの大きな魅力じゃないだろうか。