文・写真/室橋裕和

 

「日本に陸路国境はない」

 島国だから、隣国と海を挟んで接してはいても、地続きになっている国境線は持たない。確かに現状はその通りだ。しかし、そうではない時代があった。「大日本帝国」と呼ばれていた頃の話だ。

 日本は大陸にどんどんとナワバリを広げた。それは植民地や満州のような傀儡国、あるいは租借地といった形だが、そうした占領地と周辺国との間では陸上での境界線があったわけだ。

 そして純然たる意味で国同士の陸路での国境というものもあった。樺太だ。北海道から宗谷海峡を挟んで北方、オホーツク海に横たわる巨大な島である。

 その南半分が、日本に割譲されたのは1905年(明治38年)のこと。日露戦争を講和するために結ばれたポーツマス条約によって定められたのだ。戦争に勝った日本が勝ち得た領土といえるのかもしれない。

 南樺太は日本の施政下に置かれ、およそ40万人の日本人やアイヌが生活し、石炭の採掘や林業で栄えた。中心都市の豊原(現ユジノサハリンスク)は4万人規模の街だったようだ。

 そこから北、北緯50度線が日本とロシア(ロシア革命後はソ連)との国境となっていた。当時は1本の道路が南北樺太を結んでいたほか、日本軍の敷設した鉄道も走っていた。

 それでも北緯50度線には4つの標石が置かれ、両国の境界を示したわけだが、そのひとつがなんと、ここ根室に保管されているのである!

 さんざん前置きが長くなったが、前回訪れた花咲漁港のすぐそば、小高い丘をのぼったところにある『根室市歴史と自然の資料館』に展示されている国境標石を前に、僕は感動していた。日本がかつて陸路国境を有していた確かな証なのである。漫画『ゴールデンカムイ』にも出てきたやつだ。

 高さ60センチくらいだろうか。片方には菊花紋章の上下に「國帝本日大」「界境」と彫られ、もう片側をのぞいてみるとワシの紋章とキリル文字。本当に国境があったんだ……この標石のそばをアシリパさんたちが駆け抜け、ロシア側に潜入する場面が『ゴールデンカムイ』では描かれる。そして史実では1938年(昭和13年)に岡田嘉子という女優が、恋人の演出家・杉本良吉とともに北緯50度線を越えてソ連に密入国、亡命している。この結果、樺太では陸路国境に許可なく接近することを禁ずる国境取締法が制定された。

 その後、太平洋戦争最終盤の1945年(昭和20年)8月9日、ソ連は日ソ中立条約を破棄し南樺太に侵攻。日本は敗戦後に結ばれたサンフランシスコ講和条約の中で南樺太を放棄することになった(北方4島は別だ)。こうして日本は戦争で勝ち取った領土を、戦争によって失った。

 そしてかの国境標石のうち3つは、ソ連崩壊の混乱の中で破壊されたり撤去されて行方がわからなくなってしまったが、残ったひとつは日ソ両軍戦没者の遺骨収集をしているロシア人が保管していた。これを根室市の有志グループが譲り受け、ロシア文化省の許可のもと、この資料館に展示されている……と解説にはあった。

 たったひとつ残された、日本の陸路国境の残骸なのである。きわめて貴重なブツといえるだろう。僕と同類の趣味者はぜひ、この資料館に足を運んでみてほしい。

国境マニアにとっては世界遺産並みの展示物を持つ『根室市歴史と自然の資料館』
根室ではこんな場所にも行きました。人は北海道を旅すると鉄オタになる