文と写真/藤井誠二 

 

2月12日 [SAT]   

 夜遅く、那覇に着く。雨も降っているので、空港のコンビニで弁当を購入し、タクシーで自室に向かう。缶ビール一本といっしょに食う。飛行機の中で、先日、54歳で急逝した小説家・西村賢太さんの本を何冊かタブレットに入れてきたので読みふける。『苦役列車』、『蠕動で渉れ、汚泥の川を』、『一小説缶家の日乗』、『二度はゆけぬ町の地図』、『どうで死ぬ身の一踊り』。ぼくはこれまで私小説というものをたしなむということがほとんどなかったため ─そもそも文学というものに縁遠い─ 芥川賞を取った『苦役列車』やその他のもろもろの受賞作も読んだことがなかった。が、町田康さんの朝日新聞(2022.2.9)の追悼文を読んで読んでみようと思い立った。

[知らせを聞いて暫くの間、物が言えなかった。それほどに衝撃が大きかった。西村賢太という作家が此の世にいて書いているということは私の心の支えだった。]、[(前略)その世界は、人間の卑小な部分、醜悪な部分、身勝手な部分などをこれでもかというくらいに突き詰めて描いた凄絶な世界で、多くの人が好む美しかったり痛快だったりする物語はまったくない。]

などの文章がぼくの心をなぜか離れなかった。読んでみると、己の臓腑をえぐり出すような文体が好きになっている自分に気付いた。

 

2月13日 [SUN]  

 春に出す予定の『沖縄の街で暮らして教わったたくさんのことがら─「内地」との二拠点生活日記』(仮題・論創社)の初稿が届いたので、さっそくアカを入れ始める。ぼくの日記なんぞ誰が読むんかいみたいな思いはずっとねばりつくのだけど、かなり加筆しているし、少部数発行ということでどうかよろしくお願いします。わりと毒を吐いた日常記録。

 午後二時ぐらいにジュンク堂那覇店に歩いて行く。三時から写真家・ジャン松元さんとの共作『沖縄ひとモノガタリ』の連続トークライブの初回。構成作家のキャンヒロユキさんと、お笑い事務所FECの社長で芸人・俳優でもある山城智二さんと。取材裏話から、芸能論みたいなことまで四人でえんえんと二時間しゃべる。版元の琉球新報社の方々も来てくださり、ほぼ満席(ソーシャルディスタンスを徹底して椅子を並べた会場)で50人以上が来てくださった。終わって登壇者らとかるくビールを飲んで打ち上げて解散。

 


『沖縄ひとモノガタリ』
「琉球新報」2019年1月~2021年12月まで連載された人物ルポルタージュ「藤井誠二の沖縄ひと物語」に10人の書き下ろしとポートフォリオ写真を新たに追加し書籍化。
人々が紡ぐモノガタリは潮風が吹き、緑がそよぎ、唄も聞こえてくる。 なにやらこの人たちに会うためにページをめくっている気分になる。
ご購入はコチラから→琉球新報ストア

 

 

2月14日 [MON] 

 昼前に起床。昨夜、コンビニで買っておいた野菜サラダや豆腐を食べる。曇天。今日は外出しないで、仕事をする。珍しく深夜二時ぐらいまで集中力が持続。一万字ぐらい書いた。

 

2月15日 [THU]  

 東京から届いたダンボール三箱分の本を整理。午後から近くのホテルのロビーでかねてからお会いしたかった沖縄国際大学の佐藤学先生とお目にかかった。ホテルへ向かって歩いていたら、「フジイさーん!」というデカい声が聞こえたが周りを見回してもそれらしき人は見当たらない。男性の声だった。きょろきょろあたりを見回していたら、ジャン松元さんがクルマをユーターンさせて横につけた。「(フジイさんが)歩いていたからさあ」と笑っている。琉球新報社に帰る途中だそうだ。

 政治学者である佐藤さんの話はおもしろすぎて聞き入ってしまった。人格者とはこういう人のことをいうのだろう。ぼくのような人間とは間逆の誠実さを感じる。研究論文の抜き刷り(沖縄国際大学沖縄法政研究所)を二種いただく。[名護市第一次総合計画基本構想「逆格差論」─試論に向けて](2021)と、[2020年米国大統領選挙の諸相](2021)]。佐藤さんは東京のご出身で、ぼくが半移住生活を始めたときぐらいに沖縄に移住された。

 ツイッターを何気なく見ていたら、「沖縄タイムス」の阿部岳記者が「アジア記者クラブ」と猛烈な攻防をくりかえしていたのを追いかけて読んでしまった。阿部さんとは面識があるが、このたび「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」を、共同通信編集委員の石井暁さんと連名で受賞した。喜ばしい。

 そんな阿部さんを「アジア記者クラブ」は、「帝国主義の代弁者」と決めつけたのだ。どうやら、[人権弾圧を受けているウイグル族の女性選手が聖火最終ランナーに仕立てられ、習近平氏とバッハ氏の前で国家と私有財産と強欲を否定する「イマジン」が流れ、公園にはバッハ氏の胸像が建った、と。五輪というのはつくづく異様なイベントだ。もちろん札幌でも開かないでほしい。]という阿部記者のツイートの出典を明らかにしないところが、そう言わしめた根拠のようだ、[《#阿部岳 は反中反共主義者なので歪むのです。思想信条の自由はあるけど、紙面を利用して自らの心情吐露が公論であるかのように装うのは公私混同、工作の類です。]とまで書いていた。

 当の阿部記者は、[「帝国主義の代弁者」と呼ばれ、同時に「中国の手先」と呼ばれている。記者は全方面の「お立場」から嫌われているくらいがちょうどいい。]と反論していたが、阿部記者の普段の記者活動を見ていると、「帝国主義の代弁者」というぶった切り方はちょっと違う気が。ネトウヨからは「中国の手先」とか言われているしなあ。

 

2月16日 [WED]   

 午後に沖縄テレビに歩いて向かう。6月に論創社から出す『沖縄で暮らして教わったたくさんのことがら─東京二拠点日記』(仮題)のアカ入れした初稿を投函。時間があったのでむつみ橋のスタバで資料を読む。局まで歩き、ディレクターの米村光さんと、「ひーぷー☆ホップ」の打ち合わせ。憧れのローカル番組にまた出れるぞ。うひひ。途中から米村さん上司の松田牧人さんもやってきて─松田さんとは飲み友達なので─わいわい話す。帰りにジュンク堂に寄って森本店長とコーヒーを飲みつつ、いろいろとお知恵拝借。森本さんと別れたあとは栄町の「ちぇ鳥」へ移動して、普久原朝充さんらと焼き鳥を喰いながらかるく飲む。「りうぼう」に寄って食材を買い込んで、帰還。