文と写真・サラーム海上

 

100年前の製法で作るパン屋『私の父のベーカリー』

 日本のポーランド広報文化センターから事前依頼されたミッションの一つに「ベーグルの謎を追え」というのがあった。

 ベーグルは日本では「ニューヨーク発のファッショナブルなリングパン」と思われがちだが、それはあくまで表層でしかない。19世紀にニューヨークにベーグルを持ち込んだのはポーランド系のユダヤ人であり、その起源は17世紀のクラクフのユダヤ人まで遡れるというのが定説となっている。要するにベーグルの起源は僕たちが取材のため滞在していたカジミェシュ地区にある!

 実際、僕たちはクラクフの中央広場の屋台で「クラクフのいったん茹でて焼いたパン」を意味する「オブヴァジャネク・クラクフスキー」と呼ばれるご当地版のベーグルをすぐに見つけた。生地はひねってあり、日本で売られているベーグルよりも弾力は低く、モチモチしていない。どちらかというとクリスピーでプレッツェル類に近く、トルコのスィミットやイスラエルのエルサレム・ブレッドにそっくりだ。

 ただ如何せん一泊二日ではベーグルを調べるには時間が足りなすぎた。ベーグルの謎は次回以降の宿題とさせて欲しい。

ドミニクさんとご当地のベーグル。日本のベーグルよりもトルコのスィミットにそっくり

 それでもクラクフのパンに興味を持つ僕のため、町を離れる直前の2019年9月3日午後、ガイドのドミニクさんが気を利かせて、カジミェシュ地区にあるパン屋『Piekarnia Mojego Taty(私の父のベーカリー)』を案内してくれた。ここは1930年代の製法でパンを作り続けるクラクフ唯一のパン屋さんとのこと。

 いかにもカジミェシュ地区らしい煤けた外観の建物の一階がお店になっていて、通りに面した入り口から中に入ると、10畳ほどの小さな売り場があり、そのレジカウンターをくぐると、奥は天井も高く広いパン工場に続いていた。

100年前のパンにこだわり続ける店「私の父のベーカリー」
焼き立てのパンが棚に並ぶ店内

 工場では大柄な身体に銀縁眼鏡をかけた店主のヴォイチェフさんが待ちかまえていてくれて、挨拶を済ますと、実に穏やかな声で話し始めた。

 「このお店は2006年に開店したんです。私の父親はパン屋でしたが、私は長い間大企業で働いていましたし、兄弟も誰もパン屋を継ぎませんでした。私は会社を辞めて、父の遺言に沿ってパン屋になったんです。
 父は生まれも育ちもクラクフですが、第二次世界大戦中、ドイツ軍によって徴収され、他の町で強制労働をさせられたんです。そこでパン屋で働き、ドイツ式のパンの作り方を覚えました。
 私がここでパン屋を始めるときに最初にこだわったのは、100年前のパンの作り方を採用することでした。天然の材料である小麦粉、ライ麦粉、塩、水だけで、100年前の機械やオーブンを使って、当時のレシピでパンを作ることです。現在この方法でパンを焼いているパン屋はクラクフではここだけです」

 

脱サラし父親の意思を継いでパン屋になったヴォイチェフさん