「それがどうした」と言われたらそれまでだが、私と担当編集Iさんは、〝ウルグアイの刑務所をいちばん訪れている日本人〟じゃないかと思う(違っていたら、すみません)。
1回目、2回目の渡航を合わせると、私たちは、合計3か所の刑務所を訪れた(厳密には、〝元刑務所〟も含まれるが)。
(元)ミゲレッテ(Miguelete)刑務所、(元)プンタ・カレータス(Punta Carretas)刑務所、プンタ・デ・リエレス(Punta de Rieles)刑務所。
いずれもモンテビデオ市内にある。
ミゲレッテ刑務所とプンタ・カレータス刑務所は市のほぼ中心部に、プンタ・デ・リエレス刑務所は郊外に位置するが、それでも、中心部から車で30分もあれば行くことができる。
これだけ〝好立地(あまり適切な表現ではないかもしれないが)〟な場所に刑務所が3つもあるという現実を鑑みるにつけ、軍事独裁政権下にあった1970年代から1980年代にかけてのこの国に思いを馳せずにはいられない。
この時代、無数の人が政治犯として逮捕され、裁判なしで次々と投獄されたという。そりゃ、刑務所もたくさん必要になってくるだろうに。
ちなみに、(元)ミゲレッテ刑務所、(元)プンタ・カレータス刑務所はムヒカが、プンタ・デ・リエレス刑務所は妻のルシアが収監されていた場所である。


私たちが訪れた刑務所のうち、今も現役なのは、プンタ・デ・リエレス刑務所だけだ(詳しくはvol.9を読んでいただきたいが、ミゲレッテ、プンタ・カレータスの両刑務所は、現在、別の施設に生まれ変わっている)。

「ルシアさんが収監されていたということもありますが、所長(取材時の)さんが元ツパマロスの活動家で、軍事政権時代には10年くらいヨーロッパなどに亡命していた人なんですよ。あの時代(ムヒカやルシアが革命家として闘っていた時代)の話を聞けると思います」
通訳兼コーディネーターの森さんから言われ、私たちは、プンタ・デ・リエレス刑務所を訪れることになったのだった。