中国の町中を歩くと、しばしば「蘭州牛肉」の看板を見かける。蘭州牛肉麺は、回族が多く住む甘粛省蘭州市発祥のラーメン。コクのある澄んだスープと手打ちのストレート麺に、やわらかく煮た牛赤身肉が2、3切れ載っているのが定番である。はじめて食べたのは北京留学時代の1997年。シンプルでありながら味は深く、何度食べても飽きない。これぞ原点かつ究極のラーメンだと、衝撃を受けた。いまだに(コロナ前まで)中国を訪れるたび、宿の近くで良さそうな店を探しては足を運んでいる。

 

 15年ほど前に仕事で上海を訪れたある日、お昼にいったん解散となった。編集者がホテルに帰るというので、数日前から目星をつけていた蘭州牛肉麺屋へ向かった。

 

「牛肉麺の大盛りを一杯ください。香菜(パクチー)抜きで」

 

 ラーメンに限らず、中国では料理のあしらいに香菜がよく使われる。はじめて香菜を食べたときは、虫を食わされたかと思った。強烈に臭く、えぐい。眉間にシワを寄せ、涙目で飲み込んだことを忘れない。「清不要放香菜(香菜抜きで)」という中国語は、留学する前から頭に入っている。
 さて、注文したはずの牛肉麺がなかなか出てこない。厨房にはディープな方言で話す料理人が数人。流れるような動きで器にスープをはり、麺を茹でている。そういえば注文したときの北京語にはかなりクセがあった。本場蘭州からの出稼ぎなら、味も期待できよう。しかし⋯⋯なぜだろう⋯⋯あとから来た客のほうが先に食べはじめている⋯⋯。うまそうに麺をすする音があちこちから聞こえてくると、もう我慢の限界である。

 





「あの⋯⋯僕のぶんは⋯⋯?」

「え?もう出していいの?」

「⋯⋯?」

「だって、『あとでいい』って。すぐ作るよ!」

「あ⋯⋯」

 

 ピンときた。発音だ。「香菜」は「シャンツァイ」、「今」は「シェンツァイ」。つまり、「今は要らない」と解釈されたらしい。

 まあいい、まあいい。むしろこのじらされる時間がうまさを倍増させるというものだ。僕のであろう大盛牛肉麺が出来上がり、厨房を出たところで、箸を割った。

 

「お待ちどうさま!」

 

 ドン、と置かれた待望の蘭州牛肉麺。

 麺が見えないほどの香菜が盛られていた。

 

 

リレーエッセイ「食にまつわるハプニング」編】

次回(vol.3)は韓国人紀行作家のチョン・ウンスクさんです。

一生に一度だけどうしても食べられなかった韓国の大衆酒場で出てきた貴重な料理「サロン」とは?