3月5日 [SAT]  

 午前中に起きて、今日も「グラン・ブルー」のサントラをかけながら昨日とは別の原稿を書き始める。注文を与えてもらえるのはありがたいことだと感謝しつつ、書く楽しさと書く重圧を天秤にかけたら、重圧のほうに傾く。取材は好きなのだが、書くことが辛い。しょせん俺みたいなやつはこんな仕事向いてなかったんだとネガティブな気持ちに襲われながら、いつまでこの仕事を続けるのだろうかとさらに落ち込むループ。筆を休めて、ウクライナ情勢のニュースを観る。

 夕方はOTVに出向いて、地元ローカル情報バラエティ番組の「ひーぷー☆ホップ」る生出演した。ジャン松元さんとの共作『沖縄ひとモノガタリ』(琉球新報社)について語らせていただくのだが、メインのヒープーさんこと真栄平仁さんはじめ、レギュラー陣の芸人さんたちとのトークにも絡むことになっている。お題は「地元」。ぼくは名古屋市の繁華街の下町の一角で生れ育ったのだが、ようするに性風俗や場末系が密集していて、ヤクザの事務所もあった地域である。祖父母の代に建てた家(いまは取り壊して売却してしまった)で、表側の道路から裏側の道へとショートカットできる庭があり、拳銃を持った男が塀を乗り越えて庭を駆け抜けて逃げていくのを祖母は何回か目撃していた。今は一軒残らず消え去ってしまったが、我が家はゲイバーが密集しているど真ん中で、朝までにぎやかな町だった。ぼくが小学校に上がったばかりのとき、玄関の木の引き戸を明けたら、道路をはさんだ目の前で後ろ向きの女性が立ちションをしているのが目に入り、母親に「女の人でも立ちションするの?」と質問した記憶がはっきりとある。母はたしか何も答えずにひっこんでしまったと思うが、いま考えれば、トランスジェンダーの人か、バイセクシャルの人か、女装をしたゲイの人だったんだろうなという察しはつくけれど、小学校に上がったばかりのぼくにとっては、初めてに近い「風景」への疑問だった。ちいさな子どもに刷り込まれた「社会常識」のようなものが壊された。それからしばらくはずっとそのことばかり考えていたが、ぼくにとって地元の「原風景」の一つにはまちがいないし、いろいろな意味で集まってくる人たちが刺激のある「地元」だった──というような話をしようと思っていた。が、ディレクターと打ち合わせをしていたら、この内容を丁寧にしゃべるには尺が足りないという話しになり、急遽変更。地元はどこか怪しさ漂う歓楽街の一角で生れ育った「地元」で、子どもの頃から正体不明のもくもくと白い煙をたてる「いい匂い」をかいくぐって小学校に行っていた。大人になってからそれが「ホルモン焼き」だったということを知り、以来、ホルモンにとりつかれ、4年半に渡って某漫画雑誌でホルモン食べ歩き紀行を書き綴り、2冊の単行本にまとめるに至ったというオチの話にした。

 番組終了後、パートナーが東京からやってきたので、松山の「酒月」で合流して、晩飯を喰う。

 

3月6日 [SUN]   

 朝早く目覚め、レトルトカレーをレンチンして食べて、すぐに原稿に取りかかる。夕刻、放送作家のキャンヒロユキさんが松山にオープンした、お粥専門店の「日々晴天」に出向く。キャンさんは台湾好きが高じてお粥の店まで共同で出店してしまったのである。キャンさんが手がける番組のスポンサー関係者や、社会貢献事業などを展開している方ら5~6人が集まる食事会にお招きいただいた。食事会でも食べたがじつに美味い。いくら口に運んででも食べ飽きない。白飯以外に雑穀などを煮た粥もたっぷり。パートナーと自分の朝飯用にお粥をテイクアウト。ちょいと飲みすぎてベッドに倒れ込む。

 

3月7日 [MON]  

 やはりかるい二日酔い。昼過ぎに起きて、昨日「日々晴天」からテイクアウトしたお粥をいただく。今にも降り出しそうな曇天だと思っていたら、すぐに降り出した。雨足強し。原稿に取りかかる。夕刻になり、パートナーと牧志へ。保護たちがいる古着屋「ANKH(アンク)」で猫を撫でまわし、センベロ寿司「米仙」へ。雨のせいか空いている。いつもどおりの寿司と天ぷらを食べていたのだが、めんたいチーズオムレツ(このテの料理は一軒先の姉妹店で調理され、供される)に逸れてみた。なかなかジャンクな味でよろしい。コンビニで食材などを買って帰還。

 

3月8日 [TUE] 

 早めに目が覚めて原稿を書く。知人が重い病にかかり、彼にコメントをもらおうと予定していたのだが、現在の病状がそれどころではなくなり、彼のパートナーが連絡をくれた。心配で仕方がない。洗濯して干す。天気はいいんだが、寒い那覇。雨が降り出して、夕刻になると雨足は強くなった。栄町に出かけて「ちぇ鳥」で崔泰龍さんの焼き鳥を喰う。絶品。帰りに「りうぼう」で食材を買い込んで帰還。

 

3月9日 [WED]   

 昨夜は何度も覚醒してしまい、よく眠ることができず。昼近くまで寝ていた。起きて豆腐やめかぶなどを食べて、ウクライナへのロシア侵略戦争のニュースを見ながら、夕刻まで原稿を書く。近所の安里八幡宮へ参拝。知人の回復を祈願。この神社は保育園と一体化しているので子どもたちに声をかけながら、予測できない動きをするちっちゃい子らをうまく避けながら拝殿へ。すぐ近くに真新しい公園ができていた。いつの間にやら工事をしていたんだな。一周175メートルのランニングコースもある。そのうちやってみるかな。だいぶ前に左足の腓骨の亀裂骨折をやってから「走る」という行為から遠ざかっている。走れるかな。

 十数年前に東京・三軒茶屋のバーの階段をしたたか酔って踏み外し、左足首が象の脚のように腫れた。いまそのバーは廃業しているが、超変人なマスターが一人で切り盛りしていて、ぼくは友人の紹介で行ってみた以来、しょっちゅう入り浸るようになった。そのうちに、ぼくの知り合いや、その知り合いなど、常連が広がっていった。ある日、まだ明るい時間に一人でのぞいてみると、ぼくが紹介した若手学者2人が飲んでいた。その店には夜更けに泥酔した常連客が自由に着られるコスプレ用の衣装が何種類か置いてあって、ぼくは中国陸軍の軍服を着て飲んでいたことが(たしか)ある。とにかく無礼講なバーだったので、その二人も一人は(たしか)サンタクロースの衣装を羽織っていて、もう一人は全裸に近いかっこうで、両乳首に空のコーラ瓶を吸いつけていた。乳首コーラ学者は今ではよくテレビのコメンテーターとして顔を見るようになった。二人ともすでにかなり酔っていたが、乳首コーラ学者はぼくをみとめるや、「今度、対談しましょう」と妙にまじめなことを提案してきて、じっさいに実現した。10人も座ればいっぱいのバーカウンターしかなかったが、カウンターの上を某有名番組のプロデューサーが股間にガムテープだけを貼り付けて踊ったり、某局の若手ディレクターが階段で嘔吐して、ぼくがそれを踏みつけてすべってしまったため、激怒したマスターが道路でそのディレクターの腹を殴りつけていたこともあった。まあまあと止めに入り、ぼくは近くのコンビニで雑巾を買ってきて、何人かで掃除した記憶がある。爆音で音楽をかけて朝まで空いていたので、朝方に三茶茶屋の交差点にいた選挙カーに、店をしめた酔ったマスターがよじのぼって演説を妨害しようとして逮捕されたことは、ぼくがなんとなく店から足が遠のいた頃、風の噂で聞いた。今日は韓国の大統領選もある。晩飯は栄町「アラコヤ」で焼きとん等を食べる。沖縄そばの太を使った「ナポリンタン焼きそば」がなんともいえず美味。