3月10日[THU]     

 終日、原稿。仕事の合間に、いい陽気で風が気持ちいいので散歩がてら、牧志のパラソル通り(広場)をのぞいてみる。ちょっと前は立ち入り禁止だったのに、いまは取り壊しモードに入っている。飲み食べ散らかしに苦情が絶えないというのが理由らしいが、牧志のアーケード通りの顔にもなっていたし、近隣のお年寄りの憩いの場にもなっていた。複雑な気分。

 そういえば、[トートーメー継承「男性」8割 行事の準備・片付け「女性」8割 性別役割根強く](「琉球新報」2022年3月8日)という慶田城七瀬記者が書いた記事を興味深く読んだ。

[(前略)アンケートで、位牌の継承者を尋ねると「長男」(65・3%)、「血縁の男性」(15・7%)と男性が8割だった。また位牌がある家で行事の際に主に誰が料理の準備や後片付けを担っているのかを尋ねると、「女性」が83・5%に上った。継承は長男に、料理や片付けは女性に偏り、性別による役割が固定化している状況が浮かび上がった。トートーメーは、沖縄の一般家庭で旧盆や正月、清明祭(シーミー)などの伝統行事の中心的役割を担う家に配置され、長男や血縁の男性により先祖代々継承されてきた。一方、今回のアンケートで、位牌を誰が継ぐべきかを聞いたところ「誰が継いでもいい」が56・6%と半数を上回り、少子化や価値観の多様化に伴い、女性が継ぐことへの抵抗感は薄れてきている。(中略)沖縄の伝統的な祖先崇拝や文化が継承されるには、男女で行事の負担を分け合い、継承について親族内で話し合うことが鍵となりそうだ。]

 記事によれば、長男や男性親族への継承が多く、女性への継承はタブー視されてきたという。伝統を守ることは大事な側面もあるが、これは沖縄はとくに、元来「伝統」の多くは男性中心で引き継がれてきて、女性の負担や排除なしには成立しえなかった面がある。頑なにそれを堅持していれば廃れるのは時間の問題だろう。

 今年出したばかりの、ジャン松元さんとの共作『沖縄ひとモノガタリ』(琉球新報社)でも同性愛者の女性に御登場願ったが、沖縄の「シマクトゥバ」(島言葉)にも男言葉・女言葉があり、「ハイサイ」は一般的に知られているが、じつは「ハイサイ」は男言葉で、女性は「ハイタイ」ということを教えてもらった。「シマクトゥバ」(島言葉)を継承するのは大事だが、固定化した言葉は、ジェンダーの固定化につながり、時代に取り残される。

 

3月11日[FRI] 

 昼まで原稿。昼前に県庁ロビーでジャン松元さんと合流。玉城デニー知事と会う。近々、デニー知事の青春記ノンフィクションを東京の光文社新書から刊行するために、本人への詳細なインタヴュー含め、デニーさんの青年期をともに過ごした人たちや、家族や親戚関係者に数十人に二年以上取材を続けてきた。玉城デニー知事の「青春」は沖縄のもう一つの戦後史と言ってもいい。誰も書かなかった若き玉城デニーさんが疾走する記録。時代の息づかい、彼を取り巻く人々の語りを詳細に記録した。表紙はジャンさんにデニーさんを撮ってもらうことになっている。

 終了したあと、カフェで一息ついて、栄町「おとん」に一番乗り。コロナ禍でずっと閉めていたので思えば久々。空豆を注文したらサヤに豆が5個入っているのに遭遇してちょっとうれしい。グルクンの蒲鉾は家内工業でつくっているというなかなかお目にかかれない一品。美味なり。他にもソーキの煮付けなどで芋焼酎をちびちび飲んでいると、ジュンク堂書店の森本浩平店長と、在京の出版社「イースト・プレス」の島村真佐利さんが合流してきた。同社からはぼくも何冊か本を出しているが、彼はさいきん他社(出版社)から入社したばかりだそうだ。彼は東京生れだが、母方のルーツが沖縄にある。3人でわいわいやっていると、店にふらって入ってきた、拙日記の読者の男性から声をかけられて、いっしょに写真におさまる。矯正関係の仕事をされている方だった。

 3人で栄町場内の路地に出ると路地を吹き抜ける風が気持ちよい。自然とセンベロ寿司「米仙」へ足が向いてしまう。「米仙」がある通りは立ち飲みの店が密集しているが、米兵の中でも話題になっているのか、ノーマスクの半袖短パンの連中が大声で騒いだり、走り回ったりしている。

 激安旨寿司を食っているうちにNHKの渡辺考ディレイターの家で飲もうということになり、ちょっとの間、彼の家におじゃましてあれやこれや話す。渡辺さんの風呂上がりだった。彼にはテレビドキュメンタリー作品以外にも、『まなざしの力』、『プロパガンダ・ラジオ』、重松清さんとの共著で『最後の言葉─戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙』、『戦場が書く─火野葦平のふたつの戦場』などの単行本作品もあり、異能かつ表現するちからが横溢したテレビマンなのである。恐れ入る。

 

3月12日 [SAT]  

 昼前まで寝ていて、ちょっと二日酔い気味ながら、今日は外出しないことに決めて原稿に集中。空腹をおぼえると買いだめしてある島豆腐や冷凍してある吉野屋の牛丼の具やら冷凍野菜を加熱して食べる。某誌の多めに書いた原稿約九千字を編集者に送信。方向性と内容を確認してもらうためだ。数時間後、お褒めの言葉が。無事、採用。これからこれを刈り込まねばならない。

 

3月13日 [SUN]  

 9時頃目覚める。朝飯を食べたあと、すぐに原稿に取りかかる。13時すぎに歩いてジュンク堂書店に向かう。ジャン松元さんとの共作『沖縄ひとモノガタリ』(琉球新報社)のトークイベント。本書に登場していただいた親富祖愛さんと親富祖大輔さん、そして沖縄国際大学の佐藤学先生に登壇していただく。本部町から親富祖さん家族の乗ったクルマがエンジントラブルで浦添あたりで停止の連絡が。子ども4人のうち2人を連れてタクシーで向かっているという。大輔さんは処理をしてから2人の子どもを連れて遅れて登場。事故にならなくてよかった。

 親富祖愛さんと大輔さんたちが沖縄でおこなっている「BLM(ブラック・ライブズ・マター)」運動についての話が中心になる。ジャンさんも自身の被差別体験を話す。会場には5~60人。本書に登場してくれた屋我真也さん、普久原朝充さん、深谷慎平さんらも来てくれた。写真家の石川真生さんが会場におられて恐縮。ご挨拶する。前に名刺をお渡ししたことがあるのだが、忘れておられた。そりゃそうだ。名護からラッパーの大袈裟太郎さんも来てくれて、ネット上ではつながっていたが初めてリアルでお話をする。

 愛さんから沖縄における人種差別やマイクロアグレッションの話が次々と提起されて、佐藤先生が解説を加える。どこか張りつめた空気だったが、充実した時間を過ごすことができた。ぼくは愛さんのSNSをこまめにチェックしているのだが、さいきん(3月10日)の投稿の一部を書き留めておきたい。

[ウクライナから来たアフリカ系の人たちが国外に出ようとしたら、バスでは乗車拒否されることが起きた。逃げ出すことに肌の色の優先順位がつくられ、アフリカ系は1番最後。世界中がこの無意味な争いに胸を痛めている中、偏見が命を選別する。彼らが白いから?そんなことが出来るのは。一気に私の中で何かが消えかけた。それから一気に体調が崩れた。黒さを否定するなら白いことを否定し返す。こんな楽なことはない。マイクロアグレッションや日常的に偏見をそのままにしておくとこういうことになる。だけどまだまだ差別を認識しない人や、意識のない人々が、これくらいと思う人々に私たちの声はかき消される。(中略)さて私も白い人々をそろそろ全否定しようか?自分たちの祖先の行いに始末をしけず、今の楽しさに身を投じて、他のレイシャルや民族の領土を好き放題行き来する彼らを否定してみようか。。そんなの無意味だとわかる。たぶん多めに彼らが無知だとわかる。平気で黒人の文化を搾取し、未だに目を見開き私たちを見ているかもしれない。それはまるでヤマトから来た人々との重なる。うちなーは好きだけどうちなんちゅーへの偏見は変わらない。沖縄戦で日本兵がうちなんちゅーにスパイ容疑をかけたり、方言を使うだけで疑った。偏見は命すら奪いはじめる。(後略)]

 終了後はぼくは(ぼくよりは)若い友人数人といつもの「米仙」へ。そのあと近くのバーをはしご。何かが弾けたような感覚があって、調子に乗ってつい飲み過ぎ・食べ過ぎた。帰還しても胃がむかむかして眠れないのであえて喉に指をつっこみ嘔吐。そうしたらすっきりして眠ることができた。

 

3月14日 [MON] 

 案の定、二日酔い。昼過ぎまで何度も寝たり起きたりを繰り返す。夕刻あたりからやっとエンジンがかかり始め、パソコンに向かう。深夜に新書の原稿を編集者に送る。まだ固まっていな点も多々あるが、方向性だけ確認してもらおう。ちょっと肩の荷が降りる。