20代のほとんどを台湾で過ごした。40代になって取材旅行を重ねたが、台湾に行けなくなって2年が過ぎてしまった。今、思い出すのは直近の取材旅行よりも、台湾で暮らしていた20年以上前のことのほうが多い。私にとって初めて触れる台湾、そして若い頃の記憶のほうがより深く刻まれるということなのかもしれない。

歩道を半分占拠する占い師のお姉さん

■台湾生活最大のストレスだった歩道

 よみがえるのは屋台の味や美味しいスイーツのことよりも、ちょっとした日常生活の記憶だ。楽しい思い出ばかりではない。苦い記憶やイライラしたことほど鮮明に覚えていたりする。どれも今思えば懐かしく、日本では体験できないことばかり。

 台湾で暮らし始めた当時、どうしても慣れなかったのが歩道だった。建物の外に取り付けられたエアコンの室外機からたれた水が私を直撃する。雨かと思うくらい頻繁に。そして台湾の歩道はとても混雑している。人が歩くという目的のほかに、食堂がテーブルや椅子を並べたり、買い物客がバイクを駐車したり、商売人が商売繁盛のために金紙を燃やしたり……。歩道を歩くときは、そういった障害物をぬって歩く必要があった。

食堂の前の歩道は客席とオートバイで立錐の余地もない
よく見ると店ごとに歩道の舗装が違っている。右手には段差も

 当時を冷静に振り返ることのできる今は、あれこそが台湾情緒だったと思えるが、子育てに必死だった20代後半の私にとって、台湾の歩道はわずらわしいものでしかなかった。

 日本で買った折りたたみ式の軽量ベビーカーを台湾で使っていたのだが、台湾の歩道はつくづくベビーカーに向かなかった。2歳の子供を乗せてベビーカーを押しても、段差が多いので何度もベビーカーを持ち上げなければならない。段差があるのは、それぞれの店舗のオーナーが目の前の歩道を勝手に舗装するからだ。

 さらに、飲食店の軒下には、歩道にせり出すように椅子が並べられ、そのそばには無数のオートバイが駐められている。私は早々にギブアップし、ベビーカーから抱っこひもに切り替えてしまった。