文・写真/下川裕治

 

 首都圏の沖縄タウンを求めて横浜の鶴見を訪ねた。ここに多くの沖縄の人が住んでいたのは戦前のこと。造船工場があり、そこで出稼ぎとして働く人たちだった。

 しかし鶴見は太平洋戦争の末期、アメリカ軍の絨毯爆撃を受けて焦土と化していく。
 戦後の混乱が落ち着いてくると、再び沖縄からの出稼ぎが盛んになる。やはり鶴見周辺に暮らす人が多かった。戦前にできた人脈が復活したといわれている。

 NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』がはじまった。時代は沖縄復帰前。主人公はやがて上京するが、暮らしたのは鶴見だった。『ちむどんどん』でも鶴見が舞台になる。

 しかし2000年代に入り、また別の沖縄が生まれていく。戦後、政策移民としてブラジルやペルー、ボリビアに渡った沖縄の人たちの2世、3世がやってくるようになるのだ。かつて沖縄の人たちが多かった潮田一帯は、日系ブラジル人の街になっていく。

 日系ブラジル人の人たちに案内されて鶴見を歩く。それは沖縄を訪ねる旅でもあった。

 

■沖縄出身者と日系ブラジル人たちがつながる街

 案内してくれるのは安富祖美智江さんだった。日系ブラジル人2世だ。沖縄出身の両親はブラジルにいる。

 待ち合わせは『ユリショップ』というブラジル食材店だった。店の前で待っていてくれた。

 彼女に案内されるのは、僕、そして三線愛好会の会長の濱岡正己さん。彼は石垣島出身だ。そして日本で働く外国人に詳しい室橋裕和さんだった。

『ユリショップ』に入る。冷凍の肉類、ブラジル風コロッケ、豆類、マテ茶も種類が多い。

「ブラジル人は肉類と豆が大好きですから」

 安富祖さんが説明してくれる。日本語は流暢だ。

「サンパウロの家では日本語とポルトガル語のちゃんぽん。でも、兄と一緒に日本に来て驚きました。ブラジルで話していたのは沖縄方言の日本語。鶴見で話す日本語とかなり違うんです。私は沖縄方言を日本語だと思っていましたから」
 

ユリショップの食堂の店頭メニュー。ボリュームがありそうなブラジル料理が