文/ステファン・ダントン

 

 ふと思い出す夏がある。うっそうとした緑に囲まれたテニスコートで白い玉を追う有閑マダムをフェンス越しに見るともなく眺めていた。中野区にある哲学堂公園のテニスコート。

 1986年の夏。23歳だった私は本当にわずかな資金と夢だけを持ってバブル前夜の東京で暮らしていた。

 あの頃、街行く人はみんな明るい未来を確信したように斜め前方を見て歩いていた。この先の1週間をどうやってしのいでいくかが頭の大半を占めていた私にはそんな風に見えていた。タクシーの行列を横目に、私はいつだっててくてく歩いていた。電車賃すらももったいなかったし、時間だけはあったからとにかく歩いた。東京中を歩いた。

 あれから33年。東京もずいぶん変わった。私も変わった。もちろん変わらない部分もたくさんある。変わってはいけない部分もたくさんある。  

 貧乏留学生だった自分とその頃の東京を振り返りながら今再び東京を歩いてみよう。きっとおもしろい発見があるはずだ。

 そう思い立ち、この6月、友人を誘って私の日本生活の出発点、中野区に足を運んだ。

 

江古田駅から昔住んだアパートを目指して

  梅雨の晴れ間の太陽の下、降り立ったのは西武池袋線の江古田駅の南口。駅舎はずいぶん新しくなっていたけれど、駅前の風景はまだ昭和だったあの頃のムードを残している。

 

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江古田駅前で昔のようにたばこに火を点けかけ、思いとどまる。

IMG_6191駅前のスーパーは昔と変わっていなかった。

 

 「なつかしい?」と聞く友人に「私が住んでいたアパートまでは20分くらいあるけど、ここまでよく歩いてきたよ。池袋のアルバイト先までここから電車に乗ったんだ。お金がないときは池袋まで歩いたけどね」と答えながら、多分、いや間違いなく33年前からあった喫茶店に入って本日の作戦会議。

 「日本に来たばかりの頃、早稲田の外国人用のシェアハウスに転がり込んで、それからすぐに哲学堂の近くのアパートを借りたんだ。4畳だったかな。トイレは外。お風呂なし。家賃は2万円ちょっと。銭湯に通ったよ。大家さん、いい人だったな。アパート、まだあるかな。道は多分わかるから、探してみたいな。行ってみよう」

 

思い出しながら描いたアパートの間取り
当時を思い出しながら描いたアパートの間取り。