京都の人はプライドが高い。いまだに東京を首都とは認めず、「天皇はんは東京へお貸ししてるだけどす」という人もいるという。ただ、この場合の京都とは上京区、中京区、下京区の範囲。いわゆる「洛内」である。

 そこまで極端ではないにしろ、堺の人もプライドは高い。それは、中世に「東洋のベニス」とも呼ばれるほどの国際都市かつ自治都市であったことや、前回に記したように大阪府下でも特別な立ち位置にあることに由来する。

 ただし京都の洛内同様、この場合の堺は濠に囲まれた環濠都市エリアのこと。いわゆる旧市街地だ。そんな旧市街地を東西に分ける道が大道筋である。

 かつての紀州街道だった大道筋は、堺大空襲の戦災復興事業で整備された道幅50メートル片道3車線の大通り。中央を走るのが阪堺電気軌道(阪堺電車)の阪堺線で、沿線には茶聖と呼ばれた千利休、歌人の与謝野晶子の生家跡や本願寺堺別院などの寺院といった、堺の歴史を物語る多くの旧跡も残されている。

 そもそも堺は貿易と商業で発展した町なので、人の流入も多く多様性に富んでいた。そのうえ摂津・河内・和泉国の境界に位置するので「お国柄」にも縛られない。ただ、そんな独自性が400年以上の年を経ることで、頑固ともいえる住民気質を生み出してしまう。すなわち「堺が一番!」「Sakai as №1」という意識だ。

 1978年には堺を舞台にしたNHKの大河ドラマ『黄金の日々』が放送される。これが「ドラマにあったみたいに、むかしの堺はすごかったんやで」と「堺一番意識」に拍車をかけ、かつての栄華にこだわりを持つ。そんな強烈ともいえる地元愛が、堺旧市街地における阪堺沿線住民の特徴なのだ。

 堺市内には南海本線・高野線、JR阪和線、大阪メトロ御堂筋線(地下鉄)と阪堺線のほかに、もう1つ路線がある。泉北高速鉄道線(泉北高速線)だ。路線区間内に6つの駅があり、中百舌鳥、深井、泉ケ丘、栂・美木多が堺市内となる。

 沿線には古墳や旧街道、古社や古寺などが点在し、古い町並みも残る。ただ、泉北高速線自体が新興住宅地「泉北ニュータウン」と大阪市内を結ぶためにつくられたものなので、沿線には団地やマンション、新築一戸建てが多く目につく。新しい住居と古民家が混在しているところもあるが、ほとんどはエリアで区切られていて顕著なのが地名だ。

 むかしながらの町は由緒のある地名だが、新興地は「○○台」。そして、「台付き地名」に住む人と旧住民の交流は少ない。そのため、地元意識の高い旧住民とさほどでもない新住民とで気質は異なる。この、エリアによって新旧の違いが大きいというのが、泉北高速線の特徴だといえる。
ただし、住民の高齢化と都心回帰でニュータウンの住民も減少傾向にある。新旧の差が縮まる日も、そう遠くはないかもしれない。

 

[sakai_tram] 阪堺電気軌道の新型車両1001形、通称「堺トラム」。3両編成の低床構造で、停留場の段差をほぼ解消。ベビーカーや車いすでも利用がしやすくなっている。なお阪堺電気軌道には、定期運用される電車としては日本最古のモ161形電車があり、その車歴は90年を超えている。

 

[daidoh_st] 大道筋を通行する阪堺電車のようす。大阪市内の一部では路面軌道(併用軌道)だが、堺市内に近づくと専用軌道となり、大道筋でふたたび併用軌道に。ただし、大道筋の併用軌道はフェンスや植え込みで軌道と車道を区別しているため、自動車は線路上を通行できない。ただし、交差点では電車も交通信号にしたがわなければならない。

 

[ohsyoji_crossroad] 南北をつらぬく大道筋と、東西を横断する大小路筋の交差点。明治時代までは大小路筋から北側が摂津国、南側が和泉国だった。そのため、堺旧市街地の住民に「摂津人」「泉州人」という意識は低い。

 

[rikyu_house] 阪堺線宿院停留場の近くにある千利休の屋敷跡。道をはさんだ向かいには千利休と与謝野晶子の生涯や人物像などを紹介し、堺の歴史・文化の魅力を発信する施設「さかい利晶の杜」がある。なお、与謝野晶子の生家跡のモニュメントは大道筋沿いに設置されている。

 

[sakaibetsuin_temple] 本堂が堺市内で最大の木造建築物でもある本願寺堺別院。1871年から1881年までは堺県の庁舎が置かれていた。

 

[senboku_liner] 泉北高速鉄道の有料特急電車「泉北ライナー」。泉北高速線は中百舌鳥駅から和泉市の和泉中央駅が営業路線だが、南海高野線へ相互直通運転を行っているため難波駅から乗車が可能。難波発の本数は平日が1日11本、土休日は12本。平日の9時から15時、土休日の11時から15時の時間帯には運行されていない。

 

[nisanzai_tumulus] 泉北高速・地下鉄中百舌鳥駅から徒歩20分の位置にあるニサンザイ古墳。世界遺産である百舌鳥古墳群を構成する前方後円墳の1つで、現状の墳丘長は290メートル。全国で7番目の大きさを誇り、「もっとも美しい前方後円墳」とも称されている。