文・写真/室橋裕和

 

■最初は不法就労の南アジアの人々だった

 このところ僕はずっと北関東をうろうろしている。

 群馬栃木茨城、それに埼玉県北部といったあたりだ。世間的にはとりたてて見どころもない片田舎と映るかもしれないが、僕たち移民文化を愛する者にとっては極めてアメージングな土地なのである。外国人が多いのだ。

 多様な民族が混在し、さまざまな文化と宗教とが入り混じる、日本有数のダイバーシティ。それが北関東の知られざる姿なのだが、その端緒が現れてくるのは高度経済成長期からバブル時代にかけてのこと。この地域に多い製造業の現場に、まず南アジアの人々が入り込んでくる。パキスタン、バングラデシュ、イランといった国々から、労働者が流入してきたのだ。

 とはいえ彼らの大半は、不法就労であったのだ。外国で労働して賃金を得るためには、ふつうその国の許可を得る必要があるのだが、その手続きを踏まずにたくさんの外国人が働くようになった。

 というのも、当時これらの国々から日本に渡航するにはビザが不要で、短期の観光滞在ならパスポートだけでカンタンにやってくることができたからだ。で、仲間内のネットワークや日本側の斡旋業者によって、北関東をはじめ全国の工場へと流れていく。

 それだけ、人手が足りなかった。世の中はバブルに浮かれ史上空前の好景気。モノはつくればつくるだけ売れた。工場もフル稼働だ。しかし日本人の若者は工場での労働を3K(きつい、汚い、危険)といって嫌い、人が集まらない。だから不法就労であろうと外国人の力に頼らざるを得なかった。

 そして警察や入管も、不法就労者の存在をスルーし続けた。一斉摘発をすれば働き手を失った工場群の経営が立ち行かなくなり、地域経済に大ダメージとなることがわかりきっていたからだ。それに、彼らはよく働いた。往時を知る工場のおっちゃんなどは、

「あの頃のパキスタン人やイラン人は本当にまじめで働きものだった。いまも、ろくに働かない日本人よりは外国人を雇うほうがいいと思う」

 なんて言うのだ。彼らがあそこのアパートに何人もで住んでいた、よくあいさつした、初めて見た外国人だからちょっと怖かった……北関東ではそんなことを覚えている日本人住民が多い。印象に残るほどたくさんの人が働いていたのだろう。

 この時代、南アジアから来た彼らはモスクを建設したり小さな食堂やハラル食材店を開いたりもしたが、細々としたものだった。いまほど流通が発達していないこともあったし、そもそも立場が不安定な不法就労者がしっかりとした地盤をつくるのはなかなか難しい。日本人と結婚して正規の在留資格を得た人を中心にコミュニティも広がりつつあったが、一般的な日本人の目に触れる店などは少なかったようだ。

小さな建物の中にハラル食材店とモスクが入居する。北関東ではよく見る光景
ほとんど現地タイのよう。茨城県を旅していると、こんな店と出合う