文/下川裕治 写真・動画/中田浩資

 

■今の那覇の国際通りを歩いてみると……

 那覇の国際通り……。僕はこの通りにあまり縁はなかった。関心もなかった。はじめて那覇を訪れたとき、この通りはすでに土産物通りと化していた。家への土産物といったら、もずくやかまぼこ、島豆腐といった物が多く、買い求めるのはもっぱらスーパーだった。

 一時、豆腐餻をよく買っていたことがあったが、牧志の公設市場にあった大城のオバァの店と決めていた。

 よく見れば、いろんなものがあるのかもしれないが、国際通りの土産物屋には、ちんすこうにはじまる菓子類やTシャツ、琉球ガラスといったものが中心だと思っていた。僕には無縁の世界で、店に入ることもなかった。

 通りをじっくり眺めるのは、バス停でバスを待つときぐらいだった。いつもにぎやかな通りだったが、足早に歩道を歩いた記憶しかない。

 いまの「てんぶす那覇」あたりにあったアーニー・パイル国際劇場という映画館が国際通りの名前の由来である。「奇跡の1マイル」とのいわれる復興を遂げた通りだということも知ってる。しかし通りには、その歴史を伝えるものはなにもない。

 沖縄がブームになっていた頃、国際通りで知人とばったり会うことが何回かあった。20年以上も話したことがない知人に出会っても話すことはなく、なんとなく気まずさが残った記憶がある。しだいにこの通りから遠ざかっていった理由でもあった。足早に歩くのは、そのせいかもしれない。

 しかしこの通りの本質のようなものに気づいたのは、日本に外国人観光客が多くやってきた頃だった。インバウンドブームのなか、この通りを歩くと、そこかしこから中国語が聞こえてきた。はじめの頃は台湾の人が多かったが、しだいに普通話が耳に届くようになる。普通話というのは中国の大陸の公用語で英語のRを発音するときのように、舌を上の歯の裏あたりにつけて発音する音が多い。それを耳にすると、大陸からの観光客だとすぐにわかった。

 それは政府の沖縄振興策のひとつだった。大陸からやってくる中国人は日本に入国するとき、ビザが必要だった。しかし入国ポイントを沖縄にすると、次回のビザを優遇する措置がとられたのだ。

 それによって沖縄にやってくる中国人はかなり増えたと聞いている。しかしやってくる中国人は、沖縄についての知識はあまりもっていなかった。独自の文化をもつ島だという理解は希薄だから、沖縄に求めるものは日本だった。そこで国際通りに増えていったのがドラッグストアーやラーメン店だった。

 本土でも、ドラッグストアーで化粧品や目薬、熱さまシートなどを爆買いする中国人が話題になった時期である。それを沖縄でも求めたわけだ。

国際通り屋台村。沖縄料理が多いが、沖縄っぽくないと思うのは僕だけだろうか