文・写真/室橋裕和

 

 僕は千葉県の突端に来ていた。北西の果ての果て、野田市のそのまた先っぽだ。千葉県の形をそのまま模したゆるキャラ「チーバくん」でいえば、ちょうど鼻先にあたる。ここに、城が建っているのだ。

 その天守閣から、あたりを睥睨する。利根川を挟んだ向こう側は茨城県だ。そして利根川から支流のように南下していくのは江戸川で、その対岸には埼玉県が広がる。3つの県がせめぎあうポイントなのだが、僕はこういう場所がつい気になってしまう。当連載の#100では、栃木群馬・埼玉の「三県境」を攻めたが、この城から眺める境界線の景色もなかなかのものだった。

復元されたものとはいえ、千葉にこれだけ立派な城があることはあまり知られていない
宿城のそばでは県境ポイントも。こういうのにそそられる

■千葉最北端から、茨城・埼玉にニラミを利かす

 まるで千葉北辺を守っているかのようなこの城は、関宿城という。いまから500年ほど前の室町時代に建てられたそうだ。ヌシは、現在の茨城県古河市から千葉のこのあたりまでをシメていた足利氏の一派・古河公方だ。

 利根川と江戸川が交わる地理的な要衝というわけで城が建設されたのだが、さらに重要になってきたのは江戸時代のこと。きっかけは利根川の流れを変える巨大工事だった。当時は東京湾に注いでいた利根川はたびたび大暴れし、流域や江戸市中を水びたしにしていた。江戸開発の妨げだったのだ。そこで徳川幕府は、利根川を東に流し変えて、銚子に河口をつくるという、400年前とは思えない一大事業に着手する。

 この結果、利根川は東遷し、安全になった江戸川に注目が集まる。東北地方や北関東から、で江戸に物資を運ぶルートとなったのだ。利根川から分岐する江戸川の「出発点」である関宿は、河岸(船着き場、港町)として大いに栄えた。

 そんな歴史を持つ、なかなかに興味深い場所なのだが……日曜だというのに観光客はほとんどおらず、城の中は閑散としていた。サイクリストたちが立ち寄っていたが、城の写真を撮って下の売店で休憩するだけなのであった。

 ちなみに関宿城は明治の廃城令によって取り壊されてしまった。いま建っている見事な城郭は、1995年に博物館として再建されたものだ。

見ごたえのある関宿城だが、あまり観光客は多くないようだ