環状線の車窓から思い巡らす大阪平野の古の形

 JRの大阪環状線(環状線)は、その名の通り東京の山手線のように大阪市内中心部をぐるっと囲む環状路線だ。開業は1895年。ただし、当初は私鉄の「大阪鉄道」が天王寺駅~大阪駅間を結び、同じく私鉄の「西成鉄道」が大阪駅~天保山駅(廃止・桜島駅の前身)間をつないでいた。

 両社は1906年と07年に国有化され、それぞれ「城東線」「西成線」と呼ばれるようになる。ふたつの路線が接続されたのは1961年のこと。ただし、西九条駅から大阪駅間の高架が未完成だったため、西九条の高架駅を出た電車は天王寺駅から大阪駅を経由して西九条の地上駅に戻り、桜島線へ入るという変則的な運転を行なっていた。実際に現在のような環状運転を開始するのは3年後のことである。

 

 そんな環状線に乗り、窓から街の風景をながめていると気づくことがある。それは「大阪平野」の起伏である。

 前回説明した通り、かつて大阪平野のほとんどが海もしくは湖で、陸地だったのは上町台地くらいのものだった。その名残を環状線の車窓から知ることができるのだ。

 環状線を構成する19駅のうち、もっとも高い場所に位置するのは天王寺駅。内回りでいえば、一つ手前は新今宮駅になる。新今宮駅の海抜は約3メートル。一方、天王寺駅は約17メートル。その差はビルの5階相当である。

 新今宮駅を出た列車は、ほとんど勾配もなく天王寺駅に向かう。高架だった線路は、やがて路面となり、そのまま天王寺駅の真下に突っ込んでいく形になる。ちなみに、新今宮~天王寺間には、2012年まで唯一の踏切「一ツ家踏切」が存在していた。

 天王寺駅は地上に駅舎があるが、阪和線以外のホームは階段をおりなければならない。とはいえ地下路線ではなく、掘割に線路を通している形になる。

 天王寺駅を出ると、線路はふたたび高架となる。だが大阪城近くになると路面に戻り、大阪城公園駅は橋上駅舎の地上ホーム。そこから次の京橋駅に向かって、線路は高架となっていくのだ。

 すべての駅の海抜を比較すると、もっとも高い位置にあるのは天王寺駅、次が桃谷駅、そして寺田町駅、大阪城公園駅と続く。もっとも低いのは福島駅、次が大正駅と大阪駅。大阪駅を除けば、低い位置にある駅は西側に多い。風景で表現すれば、東側は路面や建物の2階程度の高さを走るのに対し、福島駅から芦原橋にかけての区間は、住宅の屋根や低いビルの屋上を臨む形となるのだ。

 もちろん線路や駅の高さは、必ずしも地上高に比例したものではない。しかし、大きな影響を受けているのはたしかだ。大阪平野の古の形を、車窓の風景から思い巡らせるのもおもしろい。