99年前の1923年、関東をマグニチュード7.9とされる地震が襲う。「関東大震災」である。この地震によって東京は壊滅的な被害を受け、多くの人が地方へと避難した。文豪の谷崎潤一郎も、横浜を離れて関西に移住している。

 いっぽう被害のなかった大阪は、そんな被災者を受け入れたこともあって人口が爆発的に増加。それまでにも「東洋のマンチェスター」と呼ばれるほど重工業が隆盛したこと、市域を拡張したことも要因となり、東京市(現・東京都23区)を上回る大都市へとのぼりつめた。いわゆる「大大阪時代」である。そんな時代の面影を多く残すのが、大阪メトロ筋線界隈だ。

 #13の谷町線では、沿線に史跡が多いと紹介した。たしかに大阪市内の古代から中世にかけての遺跡は、上町台地に集中している。ただ近代以降となると、堺筋沿線に多く見られるのだ。

 堺筋線は、天神橋筋六丁目駅から天下茶屋駅までをつなぎ、位置としては谷町線と御堂筋線の間となる。そんな堺筋沿線の特徴といえるのが、金融や薬品、繊維産業など、大阪経済の中心地を走るという点だ。

 江戸時代における大阪の商業の中心地は「船場」であり、堺筋線はその中央を通る。現在も北浜駅や堺筋本町駅の界隈は高層ビルが立ち並ぶビジネス街で、大阪商工会議所も大阪取引所(旧大阪証券取引所)もエリア内にあり、かつては伊藤忠商事の大阪本社や丸紅の本店も堺筋本町駅の近くにあった。とくに沿線の道修町は古くからの薬の町として名高く、武田薬品工業、塩野義製薬、小林製薬、扶桑薬品工業、田辺三菱製薬などが本社を置いている。

 そして、堺筋沿線の見どころといえるのが近代建築の多さだ。太平洋戦争時には堺筋界隈も空襲の被害を受けたものの、明治時代から昭和初期に建てられた建築物が奇跡的に残されているのだ。

 北浜駅と御堂筋線淀屋橋の間に位置する中之島には、大阪市中央公会堂や大阪府立図書館があり、堺筋本町駅と北浜駅の周辺エリアには大正時代から昭和初期に建てられた綿業会館、船場ビルディング、北浜レトロビル、生駒ビルヂングなどが現存。さらには、福沢諭吉が学んだとされる「適塾」や明治時代に建てられた商家「旧小西家」も北浜に残されている。

 東京への一極集中が著しい昨今、大阪は後塵を拝しているといっても過言ではない。しかし、堺筋沿線には経済の中心地として栄え、「大大阪」と呼ばれた時代の名残を、いまに伝えているのだ。

 

Sakaisuji_line

大阪メトロ堺筋線の車両。画像は66系だが阪急電鉄の車両も多くみられる。堺筋線の開業は1969年で、南北を走る4路線の中ではもっとも新しい。路線距離は8.5キロと、地下鉄全線の中で南港ポートタウン線を除けば最短。ただし、阪急電鉄との相互乗り入れにより、高槻市や京都河原町への直通が可能となっている。路線のカラーは阪急に合わせた茶色(ビビッドブラウン)であるが阪急マルーンとは別だとする。