9月5日(MON)

夕方に那覇着。数日前に台風を避けるように東京に移動したばかりだが、今回も台風が沖縄近郊を去ったあとに到着した。台風をぬうようにして移動しているかんじ。空港から近くのスーパーに寄って買い物をしてから、拙宅に入る。バルコニーは鉢が二つ倒れているぐらいの被害で済んでいた。さっそくバルコニーと玄関の外側付近の掃き掃除。生暖かい強い風がときおり吹く。どこかに出かける気分にもならないのだが空腹を覚えたので、スパゲッティーニを茹でてレトルトの具材と和えて食す。野菜を茹でて、マヨネーズと味噌をつけたものも喰う。画家の町田隼人さんから「沖縄人」という北中城で開催される合同展のパンフレットが届いていた。誘われていたのだが、残念ながら会期中に行けないので、パンフレットだけ送ってもらった。出身国、性別、年齢問わずポスト沖縄返還期の作家たちが「沖縄人」を表現する。沖縄のイベント情報誌「ぴらつ暦」も届いていた。拙著『誰も書かなかった玉城デニーの青春─もう一つの沖縄戦後史』(光文社)を取り上げていただいた。編集発行人のはぎのかずまささんは同世代で愛知県出身。ぼくのことを高校時代から知っていたらしい。飛行機の中で映画「MINAMATA─ミナマタ」を観る。いうまでもなく水俣の水銀汚染公害を撮ったユージン・スミスの実話をもとにしているのだが、同時にエンタメでもある。こんな事実はなかっただろうと思われる「演出」が随所に見られ、複雑な気分になった。

9月6日(TUE)

レトルトの玄米飯にレトルトのトマトカレーをかけ、買ってきた生野菜をボイルして食べる。昨夜に続いて、バルコニーの掃除。いまは部屋を管理してくれている深谷慎平さんが冷蔵庫の大量の島らっきょうを見つけ、「食べきれないでしょうからもらいますよ~」と取りにきた。夕刻、沖縄市出身の朝日新聞西部本社から来ている島田愛美記者と喫茶店で二時間ぐらい話す。そのあと、泊の「串豚」で「おとん」の池田さんらと合流。ちょうど、那覇空港に有田芳生さんも到着したのでやってきた。勢いがついた我々は「鶴千」へ歩いて移動。誰からともなく餃子が喰いたいと言い出し「鳳凰餃子」へ。ぼくも含めてみんな人生の後半期の人たちばかりなのに、よく飲んで、喰うなあ。

 

9月7日(WED)

若干の二日酔い。長粒米を炊いておいたので、レトルトのタイのココナッツカレーをかけて喰う。夕刻までパソコンに向かったり、寝ころんだり。夕刻、東京から双葉社の箕浦克史さん一行が来ていて「すみれ茶屋」で合流。店主の玉城丈二さんとも久しぶり。ソーキの煮付けやらエビスダイの煮付け、本マグロの刺身などを供していただく。わいわいやっていると、ジュンク堂書店の森本浩平さんから電話があり、岡本尚文さんと普久原朝充さんと飲んでいるから合流しない?とお誘い。浮島通りにある台湾料理「華」へ向かう。外と遮るものがないオープンテラス状態の屋台風な店。古びた店構えだが安くて美味い。店を任されている女性は、かつて拙宅の近所の「漢謝園」に主にフロア係として務めてた。顔見知りになってから10年以上ということになる。いろいろサービスしてくれる。

 

9月8日(THU)

朝から全身がひどくダルく、喉は痛くないのだが、アタマがぼんやりする。発熱もない。パソコンに向かうのだが、すぐに横になってしまう。ほんとうは明日から9月10日まで玉城デニーさんの選挙カーの追っかけをする予定だったのだが、万が一のことを想定して、中止することにする。デニーさんと、秘書の方に連絡。荒井裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』(2021)を少しずつ読んでは瞼を閉じる。目を覚ましてはまた読む。

9月9日(FRI)

朝起きると、昨日よりはいささかアタマがカルくなったかんじ。島豆腐と野菜を食べて、パソコンに向かう。締め切りが近い原稿にとりかかる。いちおう抗原検査キットを使って、コロナかどうか確かめる。結果は陰性。ネトフリで韓国ドラマ「ナルコの神」を横になって見続ける。じつにおもしろい。しかしこれ、フィクションとはいえ、舞台となっている実在の国は不快だろうな。でも、身体はダルい。