文/チョン・ウンスク

 

 今、東京の中心部にある大規模なコリアンタウンは、週末だけでなく平日まで若者でにぎわっている。そして、全国のコンビニやスーパーには多彩な韓国食材や酒が並んでいる。これは筆者が日本で留学生活をしていた90年代後半には考えられなかったことだ。ローマは一日にしてならずというが、日本に朝鮮半島の食文化がもたらされ、今のように定着するまでには多くの歳月を要している。

 今回から数回に渡って、韓国の食文化が日本に露出し、一般に普及、定着するまでを振り返ってみたい。なお、70年代後半から90年代前半については、私の事務所の代表である日本人男性A氏(1962年、埼玉県志木市生まれ)のコメントをもとにした。

韓国人が日常的に飲んでいる酒が、そのままの姿で日本のコンビニに並ぶようになるまで長い年月を要した
今やインスタントはもちろん、菓子や調味料まで韓国のあらゆる食品が全国のスーパーに置かれている

■1975年、朝鮮漬とキムチの素

「1975年頃と記憶していますが、父親が『朝鮮漬(ちょうせんづけ)』というものを買ってきました。今の日本製キムチと同じ丸くて透明なパッケージに入っていましたが、キムチの文字はどこにもありませんでした。小6か中1だった私にはその色も匂いも鮮烈でした。当時の私は食べる楽しみを知らなかったというか、食事の時間はどらかというと憂鬱だったのですが、辛い辛いと言いながら、珍しくごはんをもりもり食べたことを覚えています」(A氏)

 沈菜(シムチェ)やコッチョリ、ジャンアチなど、キムチをはじめとする漬物を指す韓国語はいくつかあるが、朝鮮漬(チョソンジ)という言葉は聞いたことがない。当時はキムチという言葉が在日コリアン以外にはあまり知られていなかったため、朝鮮漬という言葉を当てたと思われる。

 食の細かったA氏が、「ごはんをもりもり食べた」と言っているように、ある時期までの韓国料理は、まさにごはんを美味しく食べるためのものだったと思う。我が国より20年以上早く経済成長が進み、食材も多彩で、味付けも淡白でよかった日本人にとっては、ニンニクや唐辛子を多く用いた朝鮮漬はさぞ刺激的だったろう。

「海苔の佃煮の瓶詰をヒットさせた桃屋という食品会社から、キムチの素という瓶詰のペーストが発売されたのもその頃ですね。朝鮮漬とキムチがほぼ同義語だと知ったのは、この商品のテレビCMがきっかけだったかもしれません。『白菜漬にまぶしたたけで、朝鮮漬がすぐできる』という三木のり平のナレーションがありましたからね。今思えば、あのCMソングはアリランのメロディに ♪あなた~のキムチ~(気持ち)がよ~くわかる という歌詞を当てた替え歌だったのですね」(A氏)

 70年代の我が国はまだ貧しかったので、キムチは副菜というより主菜に近いものだった。当時の中高生のお弁当のおかずもキムチが主で、一部の豊かな生徒の弁当に目玉焼きや魚肉ソーセージが入っていた程度だ。

 まだ専業主婦が多かったので、キムチは向こう三軒両隣の奥さんたちが共同で漬けていた。桃屋のキムチの素のような既製品はなかったし、ごはんを美味しく食べるためにキムチは美味しく漬けなければならなかったので、主婦はみなヤンニョムジャン(自家製キムチの素)を手間ひまかけて作っていた。当時は越冬準備が主婦の大事な仕事で、11月末、キムチ漬けとオンドル用練炭の備蓄を済ませた母の満足そうな顔をよく覚えている。

我が国でもキムチを買う人が増えているが、自らキムチ漬けをする人なら、労力を軽減するために塩漬け白菜は買っても、ヤンニョムジャン(キムチの素)だけは手作りする人が多い。写真は唐辛子粉、ニンニクすりおろし、アミの塩辛、魚醤などヤンニョムジャンの材料
ヤンニョムジャンをかき混ぜる作業は今でこそゴム手袋をして行うが、筆者の母親世代はまだ素手でやる人が多かった。キムチ漬けのあと、「手が痛い」とぼやいている母の姿が懐かしく愛おしい