文/下川裕治 写真・動画/中田浩資

 

 沖縄の島々を結ぶフェリーは、年を追ってその存在感を失いつつある。新刊書籍『沖縄の離島 路線バスの旅』のなかで、離島の離島の離島といったややこしい話をしている。離島には離島度のようなものがあるという話だ。

 石垣島宮古島は、離島という言葉にはそぐわない規模を備えている。人口も少なくない。その周辺に離島の離島が点在している。この離島の離島にも離島度のようなものがある。離島の路線バスに乗るという旅の感覚からいうと、伊平屋島粟国島の離島度が高い。そこに多良間島を加えてもいいと思う。

 そのあたりは、『沖縄の離島 路線バスの旅』で感覚をつかんでほしい。

慶良間諸島の渡嘉敷島は那覇から日帰り圏。家族連れで沖縄の海……そんな世界が広がる

■初めての沖縄、台湾から石垣島へのフェリーで上陸

 さて、フェリーなのだが、かつて離島のなかでも最も大きい石垣島と宮古島への足はフェリーだった。

 僕にとっての初沖縄は石垣島だった。台湾の基隆港を出港するフェリーに乗って石垣島に上陸した。しばらく石垣島に滞在し、那覇のある沖縄本島に向かったが、そのときもフェリーに乗った。沖縄の離島間の移動はフェリーだと皆が思っていた。石垣島や宮古島と沖縄本島はかなり離れている。午後に乗ったフェリーが翌朝に着くといったスケジュールを組んでいることが多かった。

 このとき、僕はフェリー代を払う金がなかった。日本に帰国したから、銀行のキャッシュカードを利用できると思っていたのだが、当時はまだ都銀と地銀のキャッシュカードは完全に連携しているわけではなかったのだ。

 僕はいまのみずほ銀行、当時の第一勧業銀行のキャッシュカードをもっていた。ある程度の預金もあった。しかし石垣島の沖縄銀行で、那覇にある第一勧業銀行の支店に行かないと引き出すことができないことを知らされた。

 困って会社に相談した。

「那覇で引き下ろして払ってくれればいいですよー」

 いともあっさりと切符を売ってくれた。

 フェリーに乗り込むと、甲板には牛がぎっしり積まれていた。寝そべることができないほどの密度で、牛の鳴き声が夜になっても響いていた記憶がある。

 当時、石垣島は子牛を育てる島だった。ある程度大きくなると本土に運び、最後には松坂牛などのブランド牛になっていくのだと聞いた。その牛が甲板に積まれていたのだ。

 それでは石垣島で牛を育てる農家の収入が増えない……と、その後、島や県をあげてのブランド化への努力がつづいた。そこで生まれたのが石垣牛である。牛を本土に送ることなく、石垣島で消費していくという地産地消の発想は少しずつ実を結びつつある。いや、石垣島の繁華街を埋める焼き肉店の多さを見れば、大成功といってもいいのかもしれない。