10月9日(SUN)

羽田空港の待ち時間と機内でネトフリでアクションものでも観ようと思い、適当に選んで見始めたがつまらないので(タイトルすら忘れてしまった)、空港に来る途中でもとめた毎日新聞記者の川名壮志さんの新刊『記者がひもとく「少年」事件史』(2022)を開いた。戦後復興期から現在に至る「少年犯罪」の社会での扱われ方の変化をおさらいしたようなつくり。参考文献には拙著『人を殺してみたかった』(2003・文庫版)も記されていた。川名記者は、2004年に長崎市内の小学校で起きた女児による同級生殺害事件の被害者遺族(毎日新聞支局長)の後輩記者で、のちに同事件を扱った『謝るなら、いつでもおいで』(2018・文庫版)という本を書いている。彼は家族同然のように付き合っていた被害者の兄弟をていねいにケアし、そのおかげで兄弟は人前でも心のうちをしゃべることができるようになった。ぼくはその兄弟の講演を聞いたことがある。このことは川名さんが『僕とぼく 佐世保事件で妹を奪われた兄と弟』(2021・文庫版)という著作にまとめている。ぼくは遺族とも川名さんとも面識があるけれども、一連の川名さんの仕事は、被害者や遺族のすぐ脇にいたという特異なスタンスが筆致を特徴づけていると感じる。読み終わって月刊誌『文藝春秋』の2022年10月号と11月号を拾い読みする。10月号の「権力と宗教」と題した特集の中の宮崎哲弥さんと島田裕巳さん、仲正昌樹さん、小川寛大さんの鼎談、11月号の森健さん+特別取材チームの手による「テロルの総決算 安倍元首相暗殺と統一教会 深層レポート」がたいへん勉強になった。後者は沢木耕太郎さんの傑作「テロルの決算」を意識した構成だろう。

那覇空港でタクシーに乗ると同い年のドライバーだった。個人タクシーだったからタクシードライバー歴は長いのだろう。聞けば、タクシードライバーのなり手が減ってきていて、どの会社にも遊んでいるクルマ、つまり「空車」がずらりと並んでいるという。沖縄では80代の高齢ドライバーも珍しくはなく、タクシードライバーは年寄りのやるものだという認識が広まっているらしい。「食いっぱぐれのないいい仕事だと思うんですけどねえ」とドライバーは言っていたが、沖縄で稼働しているタクシーは確実に減少傾向にあるという。そういえば、夜に酔眼で歩いていると、タクシーから寄ってきて「乗っていかないか?」というアイコンタクトを送ってくる人もほとんど見かけなくなったなあ。

そのタクシーで一路、栄町「おとん」へ。日曜日だが開けるというのをSNSで見たからだ。普久原朝充さんも誘っておいたから先に来ていた。何人かの知り合いと遭遇。焼酎を何杯か飲んでわいわいと話す。帰り道にシャッターがおりたままの「おでん東大」を見た。今年の夏にオーナーが急逝、店は70年の歴史を閉じた。焼きテビチはいうにおよばず、ミミガーとマメ(豚の腎臓)のサシミ(ボイルしたもの)を醤油油でいだく一皿、地野菜がたっぷり入ったおでん、すべてが美味かった。栄町場外の道がいっそう暗く感じた。

 

 

10月10日(MON)

昼前に起きて、野菜たっぷりナポリタンを自炊。恒例のバルコニーの落ち葉掃除。雑務を片づけ、詩人・高内壮介の『華地獄』(1997)におさめられた詩をいくつかゆっくりと読む。夕刻にジュンク堂書店に散歩がてら寄り、安里長従さんと志賀信夫さんの共著『なぜ基地と貧困は沖縄に集中するのか 本土優先、沖縄劣後の構造』(2022)を購入。その場でぱらぱらと拾い読みしたが、かなり「過激」な本である。沖縄出身や内地出身の友人や知人 ─沖縄に対して好意的である研究者や物書きたちですら─ もばっさばっさ斬られている。ぼくのような小物は俎上に上げられていないが、文脈からすると当然、批判の対象になるのだろう。

店を出ようとしたら宜野湾市で「CAFE NNIZON」(カフェ・ユニゾン」を経営されている三枝克之さんから「たまにいらしてますよね」と声をかけられた。ジュンク堂書店で三枝さんとトークイベントをされる台湾料理家のペギー・キュウさんもいっしょにいらしてご挨拶。

そのあと牧志のセンベロ寿司屋「米仙」で知花園子さんと合流。彼女はいま働いている安里のケーキ屋「アベニア」を移転・復活させるために大奮闘中だが、もともとケーキの値段が安すぎるため、そのしわよせが一気にきているかんじ。これからどうやって新しい価格設定をして、「街の安くておいしいケーキ屋さん」のイメージを守っていくのか悩んでいた。帰りに急に腹が減ったので、ひとりで「一幸舎」でとんこつラーメンをすする。

そういえば、「米仙」に向かう途中で、いまや牧志公設市場通りの古本屋として「顔」になり、全国区の知名度になった「市場の古本屋ウララ」でノンフィクションライターの橋本倫史さんと遭遇。店のオーナーの宇田智子さんともご挨拶。拙著を二冊も面陳してくださっており御礼を述べる。宇田さんはもとジュンク堂書店の店員で、『那覇の市場で古本屋』(2013)、『本屋になりたい─この島の本を売る』(増補版・2022)などの著書もある。このスペースはもともと半分ほどの狭さで、始めたのはある男性(名前を失念した)だった。ぼくが沖縄に通い始めた頃、なぜかぼくの顔を知っていてくれて声をかけてきた。それが「日本一狭い古本屋」として有名になった。沖縄本を主に扱っていた。その彼があるとき沖縄を離れることになり、宇田さんが権利を買い取って、店舗も広げた。

ひろゆき(タレントなのか実業家なのかわからん)さんが辺野古の埋め立てに抗議するために反対派の市民がつくったテント村のAbemaTVのクルーを引き連れて、座り込み日数を「座り込み3011日」と書いてアピールしてある立て看板の横に立って、たまたま人がいなかったため、「ゼロにしたほうがよくないですか~?」とからかった。「(座り込みの意味を)辞書をひいてみてください」などと嘲笑してカメラをまわし、駆けつけた反対派活動家などを挑発してあっと言う間に引き上げていった。「座り込み」は台風などの日はいないし、時間帯によっては無人のこともある。老人が多いので暑さで来られない人もいるだろう。そんな言葉の意味合いにまともに対応するほうがバカらしくなるが、ひろゆきさんはとにかく嘲り笑って去っていった。それがSNSに出るや大炎上したが、ひろゆきさんに賛意を示すものもすさまじく多かった。「座り込み」の定義などはこの際どうでもよく、なぜ、前線で闘っているごく少数の人のところへわざわざ冷笑や嘲笑をしにいくのか。それを放送を前提にしてやるというのだから、敵意があるのかわからないが、バカにしにいって、差別感情をぶつけてネタにしてやろうという確信犯であることはまちがいない。彼も番組もどうしてそういう発想ができるのだろう。放送では立て看板の字のことを「汚い字」とひろゆきさんは言い放ったそうだ。あの字は母親を米軍に殺された男性が書いたものだ。そんなことをひろゆきさんに言っても、立て板に水でかみ合わないことはわかりきっているが、ぼくは「差別」を笑いものにしているやつはゆるせないし、それをにやにやと見て冷笑している内地、沖縄に関係なく存在している貧しき精神の人々を認めない。冷笑系というのか嘲笑系というのかわからないが、そういった類の人々の群がこの国の実相にある。ひろゆきさんが「デモをやったって意味がない」と言うのをたまたま何回か聞いたことがある。多数決で多数をとったほうの意見に従うのはしょうがいなという厭世観に似たものかと思っていたが ─そもそも民主主義のとらえ方のまちがいもはなはだしいが─ いや、彼がむしろ社会の実相の悪質な核心部分を代弁しているような気がしてならない。