新旧の住民が混在する歴史あるエリア。ベッドタウンとして発展したものの、正念場を迎えてしまった南海高野沿線【関西鉄道路線周辺曼荼羅 vol.4】歯黒猛夫の画像001
およそ1400年前に築造されたとする狭山池。「古事記」や「日本書紀」にも、その名が記され、奈良時代や鎌倉時代、江戸時代にも改修が行われた。サクラの名所でもあり、2000年までは「さやま遊園」が隣接していた(1/6)
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市役所や狭山藩陣屋跡、狭山池にも近い「大阪狭山市駅」。さやま遊園が閉園になるまでの駅名は「狭山遊園前駅」で、一駅難波側には「狭山駅」がある(2/6)
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狭山藩1万石の陣屋跡。藩主である北条氏は、北条早雲を祖とする小田原北条氏(後北条氏)の末裔。後北条氏は氏直のとき豊臣秀吉の小田原征伐に敗れたが、叔父の氏規が秀吉に許されて家督を継承。氏規の子・氏盛が1万1000石で初代狭山藩主に就任する。狭山藩4代氏治のときに1万石に減封されたものの、狭山藩は明治維新まで存続した(3/6)
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河内長野駅の近くにある、東高野街道と西高野街道の合流地点。東高野街道は京都、西高野街道は堺が起点。なお、中高野街道は平野、下高野街道は四天王寺を起点とする。(4/6)
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河内長野市の祭礼の様子。高野沿線のだんじりは、上だんじりの中でも住吉型、堺型、石川型が主流。だんじりを前に傾けて回転させる「ぶんまわし」が見どころとなっている(5/6)
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難波駅~極楽橋駅で運行されている高野線の全席指定特急列車「こうや」。高野線の特急列車には、橋本駅まで運行する「りんかん」もある。なお高野山駅へは、極楽橋駅からケーブルカーへの乗り換えが必要(6/6)
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