SDガンダム生みの親・横井孝二インタビュー「これこそがSDガンダム、と想定しない自由さがよかった」の画像
『横井孝二SD画集 画伯が描くスーパーディフォルメワールド』(玄光社)より

 BB戦士の発売日に玩具店に並び、駄菓子屋の前でカードダスを何回も回したあの頃、僕らはSDガンダムに夢中だった――。80年代後半からブームになり、現在まで続いているSDガンダム。その魅力の秘密をSDガンダムを生み出した本人である、デザイナーの横井孝二さんに伺った。

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――『機動戦士ガンダム』放送時、どんな環境にいて、どんな印象を受けましたか?

 本放送時は小学生でしたが、アニメから離れて友達の家でミリタリーモデルを組んだりしていました。同級生の女子が「ガルマが……」「シャアが……」と盛り上がっているのを「ふ~ん」と冷めた様子で見ていたのですが、その子の誕生日プレゼント用にアニメ誌を買い、中をチラ見した時にジオンのMSにどハマりして、再放送からガンプラブームのビッグウエーブに飛び込みました。劇場版『めぐりあい宇宙』公開記念ファンの集いにガンダムの模写絵を送って当選して、テレビ局で富野監督のお姿を仰ぎ観たのが思い出です。

――バンダイの情報誌『模型情報』にディフォルメしたガンダムのイラストを投稿したそうですが、そのアイデアは何からインスピレーションを受けたんでしょうか?

 物心ついた頃、すでにディフォルメされた飛行機や車、ロボットの模型がありましたし、子ども向け雑誌のコミカルなロボット漫画に触れてディフォルメタッチが沁みついていましたが、やはり一番強かったのは鳥山明先生の『Dr.スランプ』のひとコマでしょうか。

――バンダイの方からどんな形で声をかけられたのでしょうか?

 高校の内輪で同人誌を作りまして、本を編集部に送りましたら加藤智編集長から「四コマ漫画を描いてみませんか?」とお電話をいただき、その後、編集長のツテでカプセルの担当者様とお会いしまして「スーパーディフォルメ」のアイデアを伺いました。

――SDガンダムのデザインをする中で苦労した点があれば教えてください。

 最初は「思いきり形を圧縮して塊にしても特徴が残るように」とオーダーされまして。ザクもガンダムも線の情報量を近付けて省略するよう腐心しました。モビルスーツの数が膨大なので差別化のためにディテールも増えて、かっこよくポーズをつけるために手足も伸びていきました

――ガシャポンやBB戦士など、SDガンダムのブームをどう感じていましたか?

 次々と仕事が舞い込み、携わる仲間も増えていきましたが、どこか実感は希薄でした。路上にカードダスが落ちているのを見て「ダブりを捨てる程売れているんだ」と感じたり、ヒット記念でお偉いさんに銀座のお店へ連れていってもらったとき、お店の女性に「息子が欲しがっているBB戦士の17番(武者ガンダム)が手に入らない」と言われてビックリしたことを覚えてます。

――武者ガンダムがシリーズ化していった流れを教えてください。

 デザイン会社(レイアップ)に席をもらってすぐに描いたのが『プラモ狂四郎』に登場した武者ガンダムのSD化です。漫画に登場したのは武者、マークII、ゼータの三体だったので、増員することになりダブルゼータ、ニューを描きました。「SD戦国伝」は、今石進さんが描いたBB戦士の取説のコミックワールドを拡げた世界観やストーリー。自分は当時描いていた漫画『元祖!SDガンダム』での世界観を基に新たな武者や忍者を登場させましたが、勝手な仕業ははじめの頃だけで、それからは今石さんや寺島慎也くんの戦国伝チームの様子を見ていました。

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