――国内だけの大会では強化育成にも限界があるということですね。

村井 国際経験のある指導者ももっと増やさないといけません。世界のサッカーがどんどん変わっていくのに、ずっと国内だけで指導をしていたのでは適応できないため、そういう意味では外との接点をどれだけ増やせるか。子どもたちだけでなく指導者の育成も大事です。

木之本 現代はITが社会生活に入ってきて様々なことが激変しています。Jリーグもトラッキングシステムを導入した。ただ、私は多くの人をサッカーに巻き込んで育成し発掘するサッカーの現場は今後も変わらないと思うのです。変わることと変わらないことがあり、変わらないことをしっかり、もう1回ターゲットを絞ってやる必要があるんじゃないかと。なぜかと言うと、例えば昨年のワールドカップでもベスト8に入る、頂点に上ると選手は言いましたよね。で、アジアカップも連覇だと言った。だけど実際にはなっていないわけで。

村井 はい。

木之本 私は結果を出してから言ってもらいたい。結果を出す前から言ったら、夢を持っている多くの子どもに与える落胆があまりにも強すぎます。誰がブラジルのワールドカップで、グループリーグで敗退すると予想したか。アジアカップでも準々決勝で敗れ去ると予想したか。でも、それが現実です。そしてACLでも2008年以降は優勝チームが出ていない。時代は変われどこの現実に対応する方法は変わらないのではないでしょうか。地道に強化育成すると言う部分をもう1回、全クラブが共通認識を持っていただきたい。もう少し違う言葉で言うと、国内で勝った負けたとやっているだけでいいのですか、と。やっぱり世界に通用する選手を作り上げてこそJリーグの価値は高まる。世界のビッグリーグと呼ばれるプレミアリーグやブンデスリーガに一歩一歩近づくために、村井さんの思い切った手腕を私は期待しています。

※第6回に続く

注1:4つの約束

村井チェアマンが打ち出した魅力的なフットボールを担保するためのJリーグの施策で①簡単に倒れない。笛が鳴るまでプレーをやめない。②リスタートを早く③交代を早く④異議・遅延はゼロを目指すの4項目。

注2:ベルギーのフットパス

ベルギーのダブルパス社がサッカークラブの育成組織を格付けしたシステム。評価は5段階に分かれている。最高ランクには緑の丸、最低ランクには赤丸で、施設、医療サポート、メンタルサポート、人材プールなど育成組織を評価するシステム。

(この記事は2015年6月29日に発行された『サッカー批評75』(双葉社)に掲載されたものです)

木之本興三
1949年1月8日、千葉県千葉市生まれ。県立千葉高から東京教育大学を経て古河電工に入社。大学時代は主将を務め、インカレなどで優勝して将来を嘱望されたが、26歳の時にグッドパスチャー症候群を発症し腎臓を摘出。引退後はJSL事務長、総務主事を務め、日本サッカーのプロ化に尽力した。1993年のJリーグ発足後は理事や関連会社の社長を兼務。2002年の日韓W杯では日本代表の団長を務めたが、大会後にバージャー病を発症し、両足を膝の上から切断する大手術を受けた。2003年にJリーグを退職後は㈱エス・シー・エス代表取締役、アブレイズ千葉SC代表を務めるなどサッカー界に貢献。2017年1月15日永眠。(※2020年4月追記)
村井 満
1959年8月2日、埼玉県川越市生まれ。県立浦和高時代はGKとして活躍し、早稲田大学を卒業後は日本リクルートセンター(現リクルート)に入社。2000年に人事担当の執行役員に就任。2004年に本社執行役員兼務でリクルートエイブリック(後のリクルートエージェント)代表取締役社長に就任し、2011年まで社長を務めた。2008年にJリーグ理事に選任。2014年1月31日に第5代Jリーグチェアマンに就任した。J1リーグの2ステージ+チャンピオンシップ制導入やJ1とJ2クラブの財政健全化を推し進めつつ、自らも積極的な営業から新規スポンサーを獲得してJリーグの経営立て直しと、多忙な日々を送っている。
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