■2001年のペジェグリーニ

 なんで、タクシーはスタジアムまで行かなかったのか。そもそも、なぜ何台ものタクシーが乗車拒否したのか……。スタジアムに向かって歩いていくと、その疑問はすぐに解消しました。スタジアム(エスタディオ・ペドロ・ビデガイン)の周辺には、アルゼンチンで「ビジャ」(アルゼンチン訛りで発音すれば「ビシャ」)と呼ばれる広大な貧民街が広がっていたのでした。

 後で調べると、メインスタンド前に広がっていたのがこの町の中でも最も悪名高いビジャのひとつ「ビジャ1-11-14」、バックスタンド側がフランシスコ教皇の地元である「ビジャ・ソルダーティ」。スタジアムの周囲には、目が泳いでいるような人たちがたむろっています。麻薬常習者です。

 こんな所に車で入ってきたら、信号待ちでホールドアップされるのが関の山ですから、タクシーが来たがらないのは当然でしょう。

 僕も、知っていたらこんなところには来なかったかもしれませんが、来てしまった以上、試合を見ていくしかありません。入口で交渉して取材許可をもらいました。

 2000/01シーズンの後期(クラウスラ)第10節。実は、サンロレンソはこのシーズンに久しぶりの優勝を果たすことになります。就任したばかりの監督はチリ人のマルエル・ペジェグリーニ。後にレアル・マドリードマンチェスター・シティでも監督を務め、2010年には日本代表監督の候補ともなった人です。

 DFのファブリシオ・コロッチーニは当時19歳で、この年の6月にアルゼンチンで開かれたワールドユース選手権に出場して優勝を果たします。その後、スペインなどでプレーした後、8年間にわたってイングランドのニューカッスル・ユナイテッドでプレー。38歳になった現在は再びサンロレンソでプレーしています。

 そのコロッチーニのヘディングで先制したサンロレンソはコロン・デ・サンタフェを3対1で破りました。

サンロレンソ対コロン戦の記者席チケット
サンロレンソ対コロン戦の記者席チケット

 試合はとても面白かったんですが、21時開始の試合が終了するともう深夜です。

「さて、どう考えてもビジャの真ん中を歩いて帰るのは危険すぎる。どうしたもんじゃろうのう」とメインスタンド前で考えていたら、目の前をタクシーが通りかかりました。運転手が試合を見に来ていたのです。

「あ、助かった。どんなにボラれてもいい!」と思ってタクシーをつかまえた僕は、通常の料金で無事に都心のホテルまで連れてきてもらいました。

 しかし、ブエノスアイレスでの冒険はその後も続いたのでした。

(この項、さらに続く)

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