■日本サッカーとの深い縁

 ジグナル・イドゥーナ・パルクは日本人にとっても馴染み深い存在だ。

 何と言っても、ここは2010年にボルシア・ドルトムントに移籍した香川真司が活躍してドルトムントの躍進に貢献したスタジアムだ。そして、それより前の2006年ワールドカップでは、ジーコ監督率いる日本代表がこのスタジアムでブラジルと対戦。「グループリーグ突破のためには最低でもブラジルに対して2点差の勝利が必要」という絶望的な状況での試合だったが、玉田圭司が先制ゴールを決めて一瞬の夢を見せてくれた。最終的には1対4と逆転されて、日本代表のグループリーグ敗退が決まり、試合終了後、中田英寿はこのスタジアムのピッチ上に身を横たえ、そしてサッカー界から引退していった。

 かつて、ボルシア・ドルトムントが使用していた「ロートエルデ・カンプバーン」も、日本のサッカー界にとっては忘れられない記憶を宿している。

 1953年にドルトムントで開催された第3回国際学生競技大会(ユニバーシアードの前身)に日本学生選抜チームが参加したのだ。日本のサッカー・チームがヨーロッパに遠征するのは、1936年のベルリン・オリンピック以来の二度目の出来事だった。

 学生選抜は開会式直後の試合で地元西ドイツと対戦し、激しい点の取り合いの末に3対4で敗れたものの日本の善戦は見る者に感銘を与え、試合後、学生選抜が宿舎の食堂に入ったところ、居合わせた各国の選手団から盛大な拍手喝采を受けたという。

 学生選抜はこの大会では2勝2敗の6位に終わったが、その後ヨーロッパ各国を回って親善試合を積み重ねるとともにイングランドなどでプロ・リーグの試合を観戦し、さらにオペラや美術館を見学するなどヨーロッパの文化を学んで帰国した。

 当時の日本蹴球協会の首脳陣は、学生選抜をヨーロッパに派遣することによって若い選手たちに国際経験を積ませ、将来の日本サッカー界のリーダーを育てようとしたのだが、実際このチームからは東京、メキシコの2回のオリンピックで日本代表監督、コーチを務め、さらに日本サッカー協会会長として日本サッカー界に貢献した長沼健や岡野俊一郎といった指導者が育ったのだ。

 ジグナル・イドゥーナ・パルクのすぐ東隣にあるロートエルデ・カンプバーンはすっかり老朽化していたが、最近は陸上競技場として再整備されている。

 ドイツのブンデスリーガに続いて、6月中旬にはイングランドのプレミアリーグやスペインのリーガ・エスパニョーラ、イタリアのセリエAも無観客で再開されることが決まっている。

 やはり、各国のスタジアムの構造を見るには良い機会となるだろう。

 各国のスタジアムにはさまざまな特徴があるが、とくにイングランドのサッカー場は歴史も古く、スタジアムとしての完成度や機能性が高い。96人が犠牲となった1989年4月の「ヒルズボロの悲劇」をはじめ、1980年代から90年代にかけてスタジアムでの事故が多発したため、イングランドのスタジアムはすっかり近代化され、多くのクラブでは新スタジアムが建設された。

 古い伝統的なスタイルのフットボール・グラウンドが姿を消しつつあるのは残念なことではあるが、それにしてもイングランドの場合、スタジアムはクラブの所有だけにそれぞれ特徴あるスタジアムが多く、スタジアムの構造も千差万別だ。それだけに、無観客開催のプレミアリーグでは世界最高のサッカー場の構造を見ることができるはずだ。

 イタリアでは、スタジアムはほとんどが市の所有で、しかも地方政府はドイツの場合のようにスポーツのための支出を認めないので、スタジアムは老朽化しているところが多い。

 そんな中で、イタリアでは最近はもともと陸上競技場だったスタジアムをサッカー専用に改装して使用しているスタジアムが多い。それも、改修のために多額の費用をかけられないので、たとえば、カリャーリやパレルモのスタジアムのように、陸上競技のトラックの上に仮設スタンドのような簡易な形のスタンドが組み上げられたところが多い。陸上競技場だった時代の下層スタンドとトラックは仮設のスタンドの下に覆われてしまったような状態だが、テレビの画面からでもそれを見て取ることができる。

 日本では、東京オリンピック終了後に新国立競技場を球技専用スタジアムに改修するという計画があったものの、多額の費用がかかることから改装計画は棚上げとなって新競技場の後利用問題は先送りの状態のままになっている。

 その点、イタリアのスタジアムの構造を観察すれば、それほど多額の費用をかけることなく陸上競技場を球技専用に改修できることが分かるだろう。

 無観客の今だからこそ、各国のスタジアムの構造をよく見ておきたいものである。

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