■求められる「お得」な日本人選手

 一つの流れが終わる一方で、新たな潮流が生まれている。イングランド、スペイン、ドイツ、イタリアと、欧州4大リーグ(あるいはフランスを加えて5大リーグ)行きは減ったかもしれないが、そうしたリーグへのステップアップを目指すリーグへの移籍が増えている。また、そうしたリーグのクラブに、日本人選手が求められるようになっていると、田邊氏は語る。

「(日本企業がオーナーである)ベルギーのシント=トロイデンがきっかけだったかもしれませんが、ああいう(欧州全体における)セカンドあるいはサードグループのリーグが、日本人選手を見るようになってきています。彼らは完全に、思ったより安く日本人を買えると思ったのだろうし、『当たると高く売れる』というビジネス的な良さがわかるようになってきました」

 近年の“当たり”は、シント=トロイデンから1年半でセリエAを戦うボローニャに引き抜かれた冨安健洋だろう。アビスパ福岡からシント=トロイデンへ移る際の移籍金ははっきりしないが、報道や移籍専門サイト『transfermarkt』を参考にすると、1億円前後というところだろう。イタリア行きにあたっての移籍金も明示されてはいないが、10億円前後での億単位になったとの情報が多い。少なくとも、獲得時よりも倍以上の金額をシント=トロイデンに残したことは間違いないだろう。

 育成で評価の高いベルギーは、これまでも自国やアフリカ出身の選手をヒエラルキーの上位にあるリーグのクラブへ移籍させることをビジネスの柱としてきた。そこに日本人選手も組み込まれたわけだが、もちろん無暗に投資しているわけではない。

「日本の若い選手の相場は、何となく1億から1億5000万円と決まっているようです。でも、セカンド、サードグループに位置するリーグのクラブにとっては、決して安い金額ではありません。スキルだけ見れば、『ブラジル人を取るより、安いんじゃないか?』という感じでしょうか。『東欧のトップレベルの若手よりは、ずっと安い』という印象だと思います」

 中田氏時代のセリエA、香川がきっかけとなったドイツのような「日本人バブル」は消えたかもしれないが、むしろ日本人選手が“正しく認識”されるようになったと言ったほうがいいのかしれない。

 田邊氏による2001年に稲本潤一(現SC相模原)がアーセナルへ移籍した当時の逸話が、時代の変化を物語る。

「当時、ヨーロッパの人と話すと『サムライは街を歩いているのか?』とか、『日本人は蛇の生き血を飲むんでしょ』『ゲイシャに会ったことはあるか?』と、真面目な顔で言われました。ヨーロッパの人には、中国や韓国との違いもわかりません。そういう状況から、世界中からの観光客の爆発的な増加やSNSの発達もあって、日本の情報が正しく伝わるようになってきました。

 そもそもヨーロッパは陸続きだから互いの間の垣根が低いけれども、日本は遠い上に島国だから、さらに垣根が高い。ヨーロッパの人から見れば、日本のサッカーの鎖国って、最近まで存在したんですよ」

 時代は、ようやく変わってきた。

(つづく)

 

田邊伸明(たなべ・のぶあき)

1966年、東京生まれ。大学卒業後、スポーツイベント会社に就職し、1991年からサッカー選手のマネージメント業務を開始するなど、一貫してサッカーとスポーツに携わる。1994年、代表取締役として株式会社ジェブエンターテイメントを設立。1999年に日本サッカー協会のFIFA(国際サッカー連盟)選手代理人試験を受験し、2000年にFIFAより選手代理人ライセンスの発行を受け、現在も多くのアスリートのサポートを行う

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