■1966年、世界チャンピオンはイングランドだった

 放送は第2回目から30分繰り上げられて午後2時半からの1時間となった。だがこの時間では、学校でサッカーをやっている選手たちは、部活動の真っ最中だったから、見ることができない。10月の番組改編にあたり、東京12チャンネルは番組名を「三菱ダイヤモンドサッカー」と改め、日曜日の午前10時に移した。

 私が「ダイヤモンドサッカー」を見るようになったのはこのころだった。当時私は高校2年生。日曜日に試合がある日には難しかったが、毎週あったわけではないので、テレビにかじりつくようにして見入った。

 当時のイングランドは「世界チャンピオン」の国である。しかもイングランド・リーグには、イングランド代表だけでなく、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド、さらにはアイルランド代表選手もそろっていて、豪華な顔ぶれだった。欧州だけでなく世界のどの国にも厳しい「外国人制限」があった時代、イングランド・リーグは、これらの地域・国の選手たちに制限をつけていなかったのだ。

 初回の放送は「トットナム・ホットスパー対マンチェスター・ユナイテッド」。実際にこの試合が行われたのは1966年の9月10日、放送の1年半も前のことだったが、BBCから購入したのは、すでに終了した1966/67シーズンの30回分の放送だったので、仕方がなかった。しかしイングランド代表が1966年ワールドカップで優勝した直後の試合であり、メンバーの華やかさは、歴史的な第1回放送にふさわしいものだった。トットナムにはアラン・マレリーやジミー・グリーブス、ユナイテッドにはノビー・スタイルズ、ボビー・チャールトンといった「世界チャンピオン」のメンバーがいたし、何より、ユナイテッドのジョージ・ベスト(北アイルランド代表)は、当時世界で最も注目される選手だった。

 それだけではない。岡野さんの解説は、地域に根差したサッカークラブというもの、国によって違うサッカーのスタイル、サポーター、車椅子姿のファン、ホームとアウェー、世界の人びとがいかにサッカーを愛し、サッカーに熱狂しているかなど、「文化としてのサッカー」を見事に描き出した。そうしたことが若いサッカーファンやプレーヤーの間でいわば常識になった先に生まれたのが、1993年のJリーグだったことを思えば、この番組の価値の一端が理解できるのではないか。

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