■「このけがには、何か意味があったんだと――」

 そのとき思ったのは、あごを砕かれるという悪夢、全身麻酔での長時間の手術、流動食だけの生活、そして2週間にわたる入院生活だった。その苦しみのなかで、憲剛はサッカーに対する恋い焦がれる思いのようなものを感じていたに違いない。それまで経験したあのシーン、このシーンを思い起こし、「ああすればよかった」「こうすれば完全なチャンスになった」などと考えていたはずだ。

 そうしたすべての苦しみから解き放たれてピッチに立ったとき、彼は不思議なほどに研ぎ澄まされた感覚を味わっていたに違いない。これまでよりコンマ何秒か早く、これまでより広く展開が読める。周囲の動き、そして試合の展開のすべてが、彼にはまるでスローモーションのように見える。そして彼自身は、自分でも驚くほどの冷静さで、それを他人事のように少し高いところから見ている――。

「このけがには、何か意味があったんだと思うようにしています」

 手術の2日後、流動食ものどに通らない苦痛のなかで、憲剛は自分自身のブログにそう書いていた。城南一和戦、そして浦和戦のピッチで、彼は自分自身のその言葉を思い起こしていたかもしれない。

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