●なぜ? 豪農の坊ちゃんが過激派テロリストに!

 

 さて、こんな荒っぽい土地柄ながら、豪農の跡取り息子に生まれた渋沢栄一。父をはじめ親戚一同、漢籍をそらんじるインテリ揃いで、榮一も7歳から先ほど登場した尾高淳忠が開いた私塾で「論語」などを学び、剣術も当時隆盛を極めた神道無念流を学ぶ。要はお金持ちの家に生まれ、子どもの頃から文武両道の英才教育を受けた坊ちゃんだったわけだ。しかし、そんな何不自由ない生活のはずの坊ちゃんが、なぜ、過激派のテロリストになったのか?

 理由は二つ。まず、「学んだ思想がヤバかった」。尾高の私塾では、いわゆる四書五経(当時のオーソドックスな教養)を教える一方で、当時大ブームだった「水戸学」を教えていた。簡単に言えば「日本は帝(みかど/天皇)を中心とした神聖な国」「帝を邪険に扱った北朝方はクソ、南朝方がサイコー」 「神国日本を汚すヤツ、帝を蔑ろにするヤツは許さん!」という、いわゆる尊王攘夷思想。

 で、その結論として「黒船でやってきた夷狄(いてき/外国人)は殺す!」「夷狄にヘイコラする腰抜けの幕府はぶっ倒す!」と実力行使を企む若きテロリスト・攘夷志士が日本中で誕生することに。当然、渋沢が通った尾高の塾もそんな過激思想を持った若者のサロンと化していた。7歳からそんなところに通っていれば、影響を受けるのは当然。自然と榮一もゴリゴリの尊王攘夷の志士となったのだ。

渋沢も影響を受けた水戸学派の人々が蜂起した天狗党の乱

近世史略 武田耕雲斎 筑波山之図/歌川国輝

 ●「Don’t Trust 江戸幕府!」役人を無能な連中とこき下ろす!

 

 もう一つの理由は「そもそも渋沢自身の思想もヤバかった」。どういうことかというと例えばこれ。

「彼らのような、いわばまず虫螻蛄(むしけら)同様の、智恵分別もないもの」

「世官世職の積弊がすでに満ち政府を腐敗させて、つまるところ、智愚賢不肖おのおのその地位を顛倒してしまった」

 どちらも自伝『雨夜譚』の中で実際に榮一自身が語った言葉だが、代官や幕府の役人を「虫螻蛄同様」だの、幕府は世襲制で「愚かで不肖」な者が上に立つせいで腐っているだの、口を極めて罵っている。幼い頃から家業の商いに触れて、いわば合理主義、実力/実績主義を身に付けていたリアリストの渋沢にとっては、武士-百姓の支配構造自体が馬鹿々々しくて仕方なかったようだ。

 とはいえ、身分制度の否定など高言すれば牢屋送りか、下手すれば首が飛ぶ。溜まりに溜まった鬱屈は、より過激な方向に向かうのも無理はない。こうして「攘夷思想」+「身分制度への叛逆」が行きついた先が、渋沢の人生を変える一大転機となった、1863年(文久3)の「高崎城乗っ取り+横浜外国人居留地襲撃」というテロ計画だった。