●親子二代にわたる筋金入りのフリーメイソン!?

 

父のフランツ・フォン・シーボルトと、その長男アレクサンダー・フォン・シーボルト

 では、息子であるアレクサンダー・フォン・シーボルトはどんな人物だったのか? こちらもなかなかの怪人物。欧州派遣団の通訳を務めながら、薩摩や長州寄りだったイギリスに情報を流していた疑いがある。 実際、維新後は長州藩出身の大物、井上馨の私設秘書として条約改正交渉をサポートし、後に明治政府から勲章を受けている。

●フリーメイソン擁護派のオーストリア皇帝から勲章授与の履歴も…

 しかも、その一方で不平等条約の極めつけと言われる日本ーオーストリア間の通商条約成立にも暗躍し、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から男爵位も貰っている。要は二重スパイの疑いが濃いのだ。

 もっとも、アレクサンダーもフリーメイソンのメンバーだったという明確な証拠はまだ見つかっていない。しかし、爵位を与えたフランツ・ヨーゼフ1世はフリーメイソン迎合路線へ転換した人物。井上馨をはじめ薩摩や長州の背後にフリーメイソンの暗躍があったのもよく知られている。彼らと深く関わっていた人物が、父親同様、筋金入りのフリーメイソンであった疑いは濃厚だ。

 

●英国・フリーメイソンの拠点をシーボルトが案内?

 

 さらに、欧州派遣の際、渋沢が詳細に書き綴った『航西日記』や『英国御巡幸日誌』には、1867年12月、シーボルトの案内で英国の中央銀行にあたるイングランド銀行などを視察したことが記録に残っている。実は、この当時のイングランド銀行は、英国におけるフリーメイソンの大物、ロスチャイルド家の強い影響下にあった(この翌年にはロスチャイルド家当主の次男、アルフレッドがユダヤ系として異例の理事就任)。また、政府公認の金の精錬所も同時に見学していたが、これもまたロスチャイルド家が英国の金市場を支配する拠点だった。

 つまり、シーボルトがフリーメイソン、特にロスチャイルド家にゆかりの施設を重点的に案内していたことは記録から明らか。ここに英国のフリーメイソン(特にロスチャイルド家)と渋沢たちを繋ごうとするなんらかの意図があったと考えても無理はないだろう。