●相容れない思想の渋沢とロスチャイルド

 

この写真を撮影したパリで「ある思想」と出会った渋沢。それを元に日本資本主義の礎となった「合本主義」を提唱した。

 後半生において、民間外交や社会福祉に精力を注いだ渋沢のスタンスは、「自由・平等・友愛・寛容・人道」というフリーメイソンの信条とかなり近いものを感じさせる。また、合理主義を旨とする点も、フリーメイソンと渋沢に共通するポイントだ。

 その一方、ロスチャイルド家の「一族の結束が第一」「資産を殖やすことこそ善」といったポリシーは、渋沢のそれとはかなり相反するものだったと考えられる

 

●自らや一族に財閥化も投機も禁じた渋沢

 例えば、渋沢は起業はしても、それを一族で独占することも財閥化することもなかった(もちろん、ロスチャイルド家は一族や婚姻関係で結ばれた”クラン”で独占)。

 また渋沢は、自身はもちろん、一族にも投機で財を築くことを禁じた(これも投機に次ぐ投機で莫大な資産を築いたロスチャイルド家とは正反対といえる)。

 

●ロスチャイルド流との決定的な違いとは?

 そして、最大の違いが渋沢が唱えた「合本主義」にあった。この思想、渋沢の言葉を借りれば、

「一滴の水が追々に相合して、遂に大河をなす」

「小資本を集めて大資本となす」

 というもので、私利私欲ではなく公益のため資本や人材、物資を集めて事業を起こすというもの。これは王侯貴族や大商人といった大資本家から金を集め、事業や投機に資金を投じて利益を得るというロスチャイルドの流儀とは正反対のものだ。

 では、この「合本主義」の源流はどこにあったのか? 実はここに再びフリーメイソンの影響が見て取れる。前編・中編で紹介した、ロスチャイルド家が裏で操ったとされるフリーメイソンとは別、「もうひとつのフリーメイソン」の存在があったのだ。

 

●「もうひとつのフリーメイソン」カギを握るのはあの男だった!

サン=シモン主義にその名を遺す、社会思想家アンリ・ド・サン=シモン

 渋沢が唱えた合本主義の源流、それはフランスで起こった社会経済思想、サン=シモン主義だとされる。ある種の社会主義ともいわれるこの思想、無理矢理ひと言でまとめれば、「生まれや育ちではなく、能力のある人々が上下の別なく連帯して社会を理想の方向へと導く」というもの。

 ただ、実態はなかなかややこしい。合理主義や能力主義、産業による発展を唱える一方で、メンバーの集まる拠点を「教会」と呼び、疑似宗教のような形も取る(こうした組織作りにフリーメイソンの影響を指摘する研究者もいる)。

 

●フランス経済を救ったサン=シモン主義

 で、このサン=シモン主義を形にするための手立ての一つが銀行や物流、交通インフラとされ、特にサン=シモン主義を元にした銀行が多数設立された。平等な市民の連帯を標榜する銀行だけに、広く中産階級から資金を集め産業に投資。フランス革命、ナポレオン戦争でどん底だったフランス経済をV字回復させた原動力になったともいわれる。この点からも、

「金持ちから集めた金で運用してさらに金持ちに。なんなら一国の経済まで支配してしまえ!」

 というロスチャイルド流のやり方とは正反対なのがわかるだろう。また、もともと不合理な身分制度が大嫌いで、ゴリゴリの合理主義者だった渋沢がサン=シモン主義に一目でほれ込むのも無理ないところ。そしてこれが後に、合本主義へと発展していくわけだ。

 

●サン=シモン主義を渋沢に紹介したのは……

 では、サン=シモン主義を渋沢に紹介したのは誰だったのか? 読者の皆さんも既にお気づきのように、第4回で登場したポール・フリュリ=エラールだ。後述するが、実はこのフリュリ=エラールは祖父の代からのサン=シモン主義者だったと考えられる。ただそうなると、「あれ? でもフリュリ=エラールってロスチャイルドの犬じゃなかったっけ?」と思われるはず。なぜ、サン=シモン主義者の彼がロスチャイルドの下で働いていたのか、次に見ていこう。