●ロスチャイルドVSサン=シモン主義者、仁義なき金融戦争!

クレディ・モビリエとの金融戦争に勝利した、パリ・ロスチャイルド家初代、ジェームズ・ド・ロスチャイルド

 実は、渋沢がパリに到着した1867年は、ロスチャイルド家にとって記念すべき勝利の年だった。

 ロスチャイルド家は1855年、”ある銀行”に対抗するため大資本家たちとシンジケート団を結成。それが後の「ソシエテ・ジェネラル」(銀行としては1864年設立)だ。それから10年以上、激烈な争いを繰り広げてきた銀行こそが、サン=シモン主義者の銀行「クレディ・モビリエ」だった。

 当初はフランス経済をけん引し、時の政府ともガッチリ手を握っていたクレディ・モビリエが圧倒的有利だった。しかし、二大銀行として覇を競う中で、次第に潮目はソシエテ・ジェネラルへ……。度重なる投資の失敗もあり、この1867年、遂にクレディ・モビリエが倒産したのだ。

 

●なりふり構わぬ手段に出たロスチャイルド家

 ロスチャイルド家の完全勝利の原因は「敵(=クレディ・モビリエ)のセールスポイントを丸パクリすること」。勝利のためには手段を選ばないロスチャイルド家らしいが、具体的には、サン=シモン主義者やその系列の銀行を自派に引き込んだのだ。

 恐らくその流れの一環で、フリュリ=エラール銀行もロスチャイルド家の支配下になったと考えられる。つまり、サン=シモン主義者にしてロスチャイルドの配下というねじれた立場にいたのが、渋沢の金融の師・フリュリ=エラールだったわけだ。

 そして、フリュリ=エラール家の歴史を辿ると、再びあの秘密結社の姿が現れてくる──。

 

●フリュリ=エラール家の謎とフリーメイソンの因縁

 

 フリュリ=エラール銀行の大元は、母方の祖父、ジョセフ・エラール・ド・ヴィリアスの創業に遡る(父方の姓が「フリュリ」で母方の姓が「エラール」)。この祖父・ジョセフが変わった経歴の持ち主で、元々は軍人で大佐まで上り詰めたにもかかわらず、突如、銀行家に転身する。

 そして彼が所属していた軍隊というのが、フランス革命の際に、革命防衛隊として中産階級を中心に設立された「国民衛兵」という民兵組織だった。現在のフランス国旗、いわゆる三色旗はそもそもこの革命防衛隊の帽章として考案されたもので、「自由・平等・博愛」を示すという。

 

●祖父は「フリーメイソンの英雄」の部下だった!

 

当時、最も有名なフリーメイソンのメンバーだったラファイエット侯爵

 このキーワードでピンと来た方もいるだろう。この3つの言葉は、フリーメイソンの5つの信条から借用したものだとされる(寛容と人道が抜けているせいで血みどろの粛清が起きたとの声も……)。

 歴史研究者の間でも、フランス革命をフリーメイソンが支援していたのはすでに常識だという。しかも、この三色旗を制定した国民衛兵の司令官こそが、「両大陸の英雄」「当時最も有名だったフリーメイソン(秘密結社なのに?)」と言われたラファイエット侯爵だった。

 つまり、フリュリ=エラールの祖父、ジョセフはフリーメイソンの超大物の部下として薫陶を受けていたのだ。しかも、このラファイエットの部下には、もう一人、重要人物がいる。

「両大陸の」と二つ名が付くことからもわかるように、ラファイエットはアメリカ独立戦争に義勇軍を率いて参戦している。

 そして、この義勇軍に士官として参加していたのが、サン=シモン主義という名の由来となった社会主義思想家、アンリ・ド・サン=シモンだったのだ。まさに、フリーメイソン─サン=シモン主義─フリュリ=エラール、そして渋沢栄一が1つの大きな流れとしてつながったこととなる。