●米・FRB設立にも渋沢は関わっていた?

 

渡米実業団でNYを訪れた渋沢。渋沢の訪米の真の目的とはなんだったのか……

 日本銀行設立から約30年後の1909年(明治42)8月、69歳の高齢を押して、渋沢は米国へ向かった。米・政財界の大物と交流を深めることを目的とした「渡米実業団」の団長としてだ。約3カ月にわたり全米を巡り、当時のタフト大統領や”帝国建設者”の異名をとった鉄道王ジェームズ・J・ヒルなどと会談した渋沢だが、この訪米には”秘められた目的”があったのでは、と考えられている。

 10月2日、オハイオ州クリーブランドを訪れた渋沢は”ある重要人物”と会談する。その人物とはロスチャイルド家と匹敵する大富豪で、石油王と呼ばれたジョン・ロックフェラー1世だ。ロックフェラーと渋沢は歓迎晩餐会を挟み19時から延々と話し続け、渋沢がホテルに戻ったのは深夜1時過ぎだったという。ロックフェラーも当時70歳、当時としては高齢の二人が寝る間も惜しんで何を話し合ったのか?その答えは翌1910年に形となる。

 

 

 1910年11月、ジョージア州ジキル島である極秘会議が開かれた。出席者はロックフェラー財閥の代表やシティー銀行頭取行、さらに「米国におけるロスチャイルド家の代理人」といわれたJ・P・モルガンなど米国経済を牛耳る金融資本家たち。そして、この会合で米国の中央銀行にあたるFRB(連邦準備制度/連邦準備銀行)の青写真が固められたのだ(実際の設立は1913年)

 渋沢ーロックフェラー会談の翌年に開かれた秘密会議。そして長年停滞していた中央銀行設立の動きの急激な加速。この流れを見れば、渋沢が日本銀行設立で得た経験と知識、さらに、その背後にあった”大きな力”からのメッセージを伝える役目を担っていたのでは? と考えても無理はない。

 

 日本と米国、二つの中央銀行設立に関わっていたと考えられる渋沢。となれば、渋沢がフリーメイソンやそれを裏で操るロスチャイルド家の傀儡だったという都市伝説も「本当なのでは?」と思う方も少なくないだろう。しかし、今回、調査を進める中で、こうした都市伝説を根こそぎひっくり返すような新事実の断片が次々と見つかった。ひと言でまとめるなら、

「渋沢栄一はフリーメイソンやロスチャイルドすら手玉に取った深謀遠慮の男だった!」

 というもの。この驚くべきストーリーと新たな都市伝説の数々は次回、「渋沢=フリーメイソン傀儡説の謎を追う」の後篇で一気に紹介する。

 

参考資料
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』(渋沢栄一記念財団)
『渋沢栄一自伝 雨夜譚・青淵回顧録(抄)』(渋沢栄一/角川ソフィア文庫)
『幕末武州の青年群像』(岩上進/さきたま出版会)
『幕末の志士 渋沢栄一』(安藤優一郎/MdN新書)
『渋沢栄一 上 算盤編』(鹿島茂/文春文庫)