YouTubeを開けば怪談系動画が次から次へ。毎月のように新作怪談文庫が書店に並び、全国各地で怪談を語るイベントや怪談語りの技の冴えを競う大会まで開かれる令和のニッポンは、まさに怪談ブーム。とはいえ、こうした怪談ブームは遠い過去にもあった。今をさかのぼること三百年ほど前、江戸時代の中頃も歌舞伎や浄瑠璃で物語化されたものから、実録ルポ風の読物まで怪談コンテンツが花盛りだったのだ。
こうした怪談ブームの中から生まれたのが、お岩さんの「四谷怪談」、お露さんの「牡丹灯籠」、そして今回取り上げるお菊さんの「皿屋敷」という、いわゆる「日本三大怪談(注1)」だ。いわば怪談の古典中の古典、いまでも歌舞伎などで上演されたり映像化や創作のヒントにされたりで、詳しいストーリーは知らなくても、名前は知っている人は少なくないだろう。
注1/諸説アリで、これに「乳房榎」や「累が淵」のどちらかを加えて「日本四大怪談」とする場合も
で、問題の怪談皿屋敷。ここまであえて「皿屋敷」と書いてきたが、読者の皆さんがよく目にするのは、“番町(ばんちょう)”皿屋敷ではないだろうか? 実は、今の日本で皿屋敷といえば番町というイメージが固まったのは、ある作品がきっかけ。大正五年(1916)に初演された歌舞伎「番町皿屋敷」で、作者は『半七捕物帳』で知られる小説家で劇作家の岡本綺堂(おかもときどう)。怪談の名手としても知られ、しかも番町のお隣・麹町生まれの綺堂は、まさにうってつけの作者といえるだろう。
単なる怪談話で終わらせず、お菊さんの悲恋の要素を加えたこの演目は大ヒット。戦後には綺堂の脚本を元に時代劇の大スター・長谷川一夫や美空ひばりの主演で映画化され、全国に「お菊さんといえば番町皿屋敷」のイメージが広まったというわけだ。
■本家は「ばんちょう」じゃなくて「ばんしゅう」じゃ!
しかし、こう聞いて黙ってられない方々もいる。播磨(はりま)国(現在の兵庫県南西部)の人に言わせれば、「播州(ばんしゅう)皿屋敷が本家本元!」とのこと。実際、綺堂の「番町皿屋敷」以前にも歌舞伎では数々の「皿屋敷物」と呼ばれる演目があったのだが、その源流となった作品は歌舞伎の「播州評判錦皿九枚館」あるいは浄瑠璃の「播州皿屋舗」と言われており(注2)、もちろん舞台は播州(播磨)だ。
注2/「播州評判──」は享保五年(1720)に京都で、「播州皿屋舗」は寛保元年(1741)に大阪で初演。
播州派に言わせれば「播州が大ヒットしたから、それをもじって番町にしたんだ!」というところで、事実、「播州→番町」に舞台を書き換えた人物もほぼ確定している。江戸時代中期の講釈師・馬場文耕(ばばぶんこう)がその人。彼の講釈をまとめた講談本『皿屋敷弁疑録』(注3)は、「江戸で噂になっている皿屋敷怪談の真相をまとめた実録もの」という体裁で、いわば現在の都市伝説や実話怪談ルポの先駆けだ。
注3/宝暦八年(1758)刊行。
さらに播州派は「そもそもこっちは物証も最古の資料も残っている!」と播州本家説を強く主張。確かに姫路城の中に斬殺されたお菊さんが投げ込まれたという「お菊井戸」があったり、お菊さんを祀った神社があったり、なんならお菊さんの井戸から「お菊虫」が大発生したりと、街を挙げて聖地化(?)されているのだ。
また、「最古の資料」として拠り所にされているのが『竹叟夜話(ちくそうやわ)』。江戸時代どころか戦国時代に書かれたとされる文献で、しかも、物語の舞台は室町時代の播磨国。播州派の方々が「これより古い皿屋敷怪談があるなら出してみろ!」と鼻息荒くするのも無理ないところだ。これで皿屋敷怪談の本家争いは決着がついたかというと……話はそう単純ではない。