大河ドラマ、観てますか? 「昨日の恩人は明日惨殺」とばかりにむごい展開が続いて、Twitterでは#全部大泉のせい、#鎌倉殿どうでしょうと、大泉洋演じる源頼朝の人でなしっぷりが大喜利化する始末。前編では鎌倉がそんな修羅の国と化したのは、そもそも「鎌倉=屍蔵(かばねくら)」という恐ろしい伝説がある場所だったから(なので大泉洋は推定無罪。たぶん。だといいな)、という話を紹介したが、この後編では「なぜそんな物騒な伝説が生まれたのか?」という地名にまつわるミステリーについて検証してこう。

 

■縁起の悪い伝説が生まれた理由は「やぐら」にあり?

心霊スポットとしても有名な「腹切りやぐら」。鎌倉幕府滅亡の時に、北条高時はじめ一族郎党約900人が自刃した東勝寺跡とされる。

 前編でもお伝えしたように「鎌倉=屍蔵」伝説は、江戸時代あるいはそれ以前の村に伝わる伝承(あるいは怪談?)に由来する。ただ、そもそもなぜ自分たちが暮らす村の名前の由来に「屍蔵」なんて厨二病をこじらせたような伝説を語ったのか? 村人よ何考えてんだ!? というところだが、実はそう考えても仕方ない理由もある。ある意味、村人(誰だか知らんけど)が言うとおり、鎌倉は「死者の街」でもあるのだ。

 鎌倉に詳しい方なら「やぐら」という言葉を聞いたことがあるだろう。山腹やガケの岩肌に掘られた横穴に埋葬する、専門用語でいうところの「横穴墓」のこと。鎌倉市内には3000基以上のやぐらがあり、しかも、かたまって作られるので大小のやぐら群が市内各地にある。

月岡芳年「芳年武者无類」より「相模守北條高時」。週刊少年ジャンプの人気連載「逃げ上手の若君」の主人公・北条時行のお父さんと言えばわかりやすい?

 有名なものでは、『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時(演・小栗旬)の子孫、第14代執権・北条高時をはじめ一族郎党約900人が自刃したとされる「腹切りやぐら(東勝寺跡)」や、名越の切通しの近くに150基ほどのやぐらが集合している「まんだら堂やぐら群」などがある

注1:なお、腹切りやぐらもまんだら堂も心霊スポットとして有名。ただし、どちらも地元の方々が大事に祀ってきた信仰の場所でもあるので、現地に行かれる方は失礼のないようにご用心ください。

 こうしたやぐら群が次々と造られたのは鎌倉時代中期から室町時代とされる。理由は急激な人口増。この狭いエリアに10万人もの人間が住んでいたとされ、これは現在と比較して人口密度でかるく倍以上(注2)。もうギッチギチもいいところで、当然、墓地に割ける土地などありはしない。というわけで、次から次へと鎌倉中にやぐらが造られたのだ。

注2:鎌倉市が発表した鎌倉地域(おおよそ、鎌倉七口の内側で鎌倉時代の都市部にあたる)の人口は、最新の令和4年5月のデータで約4万5000人。現代よりも人口過密地域だったのがわかる。