WORLD WIDE GANG REPORT

VOL.3 クリップスとブラッズ 前編

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 8月5日から、HIPHOP界の大スター“2Pac”と“ノトーリアス・B.I.G.”の射殺事件をテーマにした映画『L.A.コールドケース』が公開されている。2人の死には、ギャングが大きく関係していたという。


『L.A.コールドケース』トイレラー映像

 そこで、今、改めて振り返っておきたいのが、アメリカの2大カラーギャング、クリップス(Crips)とブラッズ(bloods)だ。


1988年、ニュースメディアの取材映像

■メンバー追悼のファッションが組織の象徴に

 クリップスは1969年にカリフォルニア州のロサンゼルスで結成されたストリートギャング。アメリカ全土に勢力を伸ばし、現在は3万人から3万5千人の構成員を擁するとされる。個々の地域ごとに「セット」と呼ばれる下位集団があり、組織全体を統括するような明確な指導部は存在しない。

 初期は黒いレザージャケット、左耳にピアスをして杖を持つという、アフリカ系アメリカ人の解放闘争を繰り広げたブラックパンサー党員を模したファッションだったが、時代に合わせて変化。

 亡くなった初期メンバーが好きだった青色を追悼する意味でメンバーが身につけたのがきっかけで、バンダナやキャップ、スニーカー、オンブレチェックのシャツ、パンツなどのファッションから、車、バイクなどに至るまで青色を取り入れることで知られている。結成当初はクリブス(Cribs)と呼ばれていたが、次第にクリップス(Crips)として知られるようになった。

■お料理本が大ヒットのあのスヌープ・ドッグも実は…

 1970年代に創設メンバーが次々逮捕されると、若いメンバーと創設者たちのソリが合わなくなり、クリップス内部の抗争が起こるようになった。80年代には低価格で手軽なコカイン、クラックが大ブームとなり、ドラッグ取引や違法な武器の売買で得た利益を元に急速に拡大し、アリゾナ州、ネバダ州、ワシントン州、オレゴン州、テキサス州、テネシー州、フロリダ州、さらにカナダのバンクーバーにも進出した。

 アメリカで最も成功したラッパーの1人であるスヌープ・ドッグは、クリップス出身であることが知られている。

■クリップスに対抗しLAで誕生したブラッズ

 一方、ブラッズはクリップスに対抗するため、ロサンゼルスのギャング組織の連合体として1972年に結成。クリップスと激しい抗争を重ねた。1970年代後半には、サンディエゴ、フレズノなどカリフォルニア州にセットを解説。80年代にはワシントン州、オレゴン州、アリゾナ州、ネバダ州、テキサス州にも進出した。

 クリップスが「青」を身につけるのに対し、ブラッズは「赤」を身につける。他のギャングもこれにならって「黄」「紫」「緑」など独自のカラーで統一する。これが彼らが「カラーギャング」よ呼ばれる理由だ。

 現在の構成員約2万人。ブラッズのメンバー出身としては、ラッパーのゲーム、カーディ・B、ヤング・サグなどが知られ、『L.A.コールドケース』に登場する2Pacや、ヒップホップレーベル「デス・ロウ・レコード」の設立者で、現在殺人罪で収監されているシュグ・ナイトがブラッズと関係が深かったことで知られる。

 1988年に制作された映画『カラーズ 天使の消えた街』(ショーン・ペン主演/デニス・ホッパー監督)では、クリップとブラッズの対立構造が描かれた。

後編に続く