■有力御家人にして「愛され脳筋キャラ」遂に墜つ!
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第一話から登場し、主人公の北条義時(演・小栗旬)や源頼朝(演・大泉洋)を支えた御家人の代表格・和田義盛(演・横田栄司)。史実上は北条氏の盟友として源氏を支えた三浦一族の重鎮で、侍所別当(さむらいどころべっとう)という軍事部門のトップを長らく務めてきた有力者だ。
史実でもドラマ上の展開でも義盛は、上総広常(演・佐藤浩市)、梶原景時(演・中村獅童)、比企能員(演・佐藤二朗)、畠山重忠(演・中川大志)など有力御家人が次から次へと悲惨な最期を遂げるなかで生き延び、一族も将軍側近などの要職に就いていた。
ドラマ冒頭から暑苦しいひげ面、空気読めない脳筋キャラで「この人、大丈夫?」と心配されつつも、どこか憎めないキャラで人気に。さらに巴御前を略奪婚(?)してからは恐妻キャラまで加わり、回を追うごとに闇落ちしていく義時やスパイ行為や裏切りばかりの三浦義村(演・山本耕史)に対し、画面に出てくるだけでほっこりしてしまう貴重なキャラクターとなっていた。
そんな愛され癒しキャラにも、最期の時が訪れたのだった──。
■一族皆〇し! 悲惨な最期を迎えた和田義盛と一族たち
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第41回「義盛、お前に罪はない」のタイトルどおり、『吾妻鏡』の記述を見ても北条義時側の謀略によって決起に追い込まれた和田義盛。建暦3年(1213)5月2日から3日までのわずか2日間で鎮圧されたいわゆる「和田合戦」で、一族のほとんどが討死、自害、処刑という末路を迎えた。
和田一族に味方した御家人を含め、固瀬河(現在の藤沢市片瀬川)に並べられた首級は234に及んだとされるが、600年以上経った明治期にも主戦場となった由比ガ浜近くで大量の人骨が発見され、現在も地名や駅名に残る和田塚に供養塔が建てられた。
そして、和田合戦あるいは和田義盛の乱といわれるこの事件だが、実は数年前から勃発を匂わせる怪異がいくつも起きていたのだ。
■源実朝は和田義盛の乱を夢で予期していた!
和田合戦を遡ること3年前の承元4年(1210)11月21日、駿河国の馬鳴(めみょう)大明神で子供に神が降りて「酉の年に合戦があるだろう」と託宣したとの報告があった。北条義時と中原広元(演・栗原英雄)からその真偽を占うべきか相談を受けた源実朝(演・柿澤勇人)は、驚くどころか「その日の明け方に合戦の夢を見てお告げを受けた。だから占うまでもないだろう」と答えたという。
和田合戦があった建暦三年はまさに「癸酉(みずのととり)」の年。つまり神の予言と夢のお告げで源実朝は和田一族の悲劇的な最期を予見していたのだ。
あるいは、ドラマで描かれたように、和田を追い込む謀略をめぐらした義時と広元の名が挙がっているように、この時点から和田一族滅亡の陰謀が始まっていたことを『吾妻鏡』の著者が匂わしていたのかもしれない。