■戦乱を予兆した「光物(UFO)」も出現!

歌川国芳が描いた「鎌倉時代のUFO事件」/高祖御一代略図・龍ノ口法難/大英博物館所蔵

 和田合戦の勃発を予言するような怪異はほかにもあった。前年の建暦2年(1212)11月には、突如、鶴岡八幡宮に数千万を超す羽蟻(はあり)が出現。『吾妻鏡』では「黄色い蝶」「鷺」と並び戦乱を予兆する怪現象だ。

 さらに事件直前の建暦3年(1213)3月には、源頼朝の霊を祀る法華堂の裏山に長さ一丈(約3メートル)ほどの「光物(ひかりもの)」が現れたと記されている。以前の記事でも紹介したように光物とは彗星でも流星でもない、専門家である陰陽師も首を傾げる「未確認飛行物体」つまりUFOのこと。

 戦乱や大災害の直前や真っ只中にUFOが出現する、というのは『ムー』を読むまでもなく、オカルト業界では常識レベルの話。『吾妻鏡』でも光物の怪異は戦乱や地震などと結び付けられており、この約2カ月後の事件を予兆したものと考えざるを得ない。また、合戦の際に実朝や北条政子(演・小池栄子)が逃げ込んだのが、光物の現れた法華堂であったのも因縁めいたものがある。

■事件の発端となった義盛の甥と「大蛇の祟り」

和田胤長と同じ呪われた洞窟探検隊の仁田忠常

/「仁田四郎人穴に入るの図」歌川国芳/ウィキメディアコモンズより

 因縁ということでは、和田一族が決起するきっかけとなった(ドラマで「無数の和田義盛」が御所に押し掛ける原因となったw)義盛の甥・和田胤長(たねなが)にはこんな因縁めいた話がある。

 これも以前の記事で紹介した「仁田忠常の呪われた洞窟探検隊」の直前、もう一つの洞窟探検隊が伊豆・大室山の山中に派遣されていた。その探検隊隊長こそが和田胤長なのだ。川口浩探検隊も真っ青の冒険の末、胤長は洞窟の奥で主の大蛇と遭遇し、これを斬り殺して無事帰還した。

 しかし、洞窟探検を命じた源頼家も別の探検隊隊長だった仁田忠常も非業の最期を遂げたのは、以前の記事で紹介したとおり。胤長は頼家謀殺の後も、あとを継いだ実朝の側近として生き延びたが、結局、一族滅亡のきっかけを生み、自身も流刑先で誅殺されることとなった。大蛇の祟り恐るべし、だ。

■実朝の枕元に立った「無数の和田義盛」の亡霊

「無数の和田義盛」の亡霊の悪夢に悩まされた源実朝/源実朝『國文学名家肖像集』豪信/ウィキメディアコモンズより

 さて、悲劇的な結末を迎えた和田合戦から約一年半後の建保3年(1215)11月、再び、鎌倉を震撼させる怪異が起きた。同月25日、突然、鎌倉幕府は仏事を行なった。導師となったのは源頼朝や北条家ともゆかりの深い寿福寺を栄西から受け継いだ退耕行勇(たいこうぎょうゆう)。臨済禅だけでなく天台密教も修めた名僧だ。

 そんな名僧の力を借りなければならない変事とは何だったのか? 『吾妻鏡』によればその前夜、

「将軍家(源実朝)が昨夜夢をご覧になり、(和田)義盛以下の死者が御前に群集した」

 のだという。夢枕に幽霊が現れただけでも恐ろしいのに、「無数の和田義盛」が現れたというのだからたまったものではない。まさに悪夢! 

 実は合戦から数カ月後、実朝はひとり寿福寺で和田義盛らの鎮魂のため仏事を行なっていたのだが、それでは成仏できなかったのか、それとも「空気読めないキャラ」が再び発動したのか、あの人懐っこい笑顔で「羽林(うりん)、双六でもやりましょうよ!」とあの世から遊びに来たのだろうか? 

 まあなんにせよ、あのひげ面が無数に現れたらお祓いのひとつもしたくなるところ。人気キャラの退場は寂しいものはあるが、成仏を願って記事を終わりとしたい。

 

参考文献
『現代語訳吾妻鏡7頼家と実朝、8承久の乱』五味文彦・本郷和人[編]/吉川弘文館
『鎌倉武家事典』出雲隆/青蛙房
『鎌倉殿と呪術 怨霊と怪異の幕府成立史』島崎晋[著]/ワニブックス