■世界一権威のある音楽賞に残された「黒歴史」

 2023年2月5日、第65回グラミー賞の授賞式が開催された。レコード賞を受賞したのはリゾの「アバウト・ダム・タイム」。アルバム賞はハリー・スタイルズの「ハリーズ・ハウス」だった。

 ……と言われてもピンとこない人でも、宅見将典がMasaTakumi名義で発表した「Sakura」でグラミー賞の「最優秀グローバル音楽アルバム部門」を、ドラマー、パーカッショニストの小川慶太が「最優秀コンテンポラリー音楽楽器アルバム部門」を受賞と、日本人二人が受賞したニュースを目にしたことはあるだろう。

 このグラミー賞、アメリカの音楽産業において優れた作品を作り上げたクリエイターの業績を讃える音楽賞。現在、世界で最も権威のある音楽賞とみなされている。ようは、映画業界でいうアカデミー賞やカンヌ国際映画祭のような音楽業界きっての権威ある賞で授賞式はある種お祭りのようなもの。

 ただ、半世紀にわたるそんな華やかな歴史において、さまざま「黒歴史」が存在する。商業主義だと批判されるのは毎度のこと。アーティストからノミネート自体を拒否されたり、受賞スピーチで「この賞、意味ねえんじゃね?」とぶっちゃけられたり……。だが、そんな「黒歴史」のなかでも、もっともヤバいのが「受賞の記録自体が消された」という事件。

 しかも、その原因となったのが「口パク」だというのだ──。

 

伝説の口パク歌手「ミリ・ヴァニリ(Milli Vanilli)」とは

 事前に録音された音源に合わせて、歌手が実際に歌っているようなパフォーマンスをすることを一般に「口パク」と呼ぶ。日本では1980年代からテレビ、ラジオなどで用いられるようになったが、聴衆や視聴者を騙す詐欺的行為だとして、批判を浴びることも多い。

 日本ではあまり問題になることはないが、アメリカでは1990年に「口パク」が大問題になった。そのきっかけが、史上唯一、グラミー賞の受賞を取り消されたアーティスト、ミリ・ヴァニリ(Milli Vanilli)だ。

 ミリ・ヴァニリは、モデルのような整ったルックスが印象的な、ドイツ・ミュンヘン育ちのロブ・ピラトゥスとパリ育ちのファブリス・モーヴァンによる二人組ダンスユニット。お互いにヨーロッパ育ちのアフリカ系移民の子だった2人は、ミュンヘンのクラブで出会い、バックシンガーを目指してデュオを結成。

 のちにグラミーを受賞する(まあ剥奪されるんだけど)二人の目標が「バックシンガー」というのは奥ゆかしいが、そのワケはのちほど……。そんな2人に目を付けたのが、1970年代に大成功したディスコバンド「ボニー・M」をプロデュースしたフランク・ファリアンだった。

■70年代に「口パク」で伝説を作った男が黒幕!?

 ボニー・M──「おお、懐かしい!」と声をあげた70年代ディスコサウンド好きも少なくないだろう。「怪僧ラスプーチン」、「ダディクール」、レディ・ガガが「ポーカーフェイス」でサンプリングした「マ・ベイカー」などのヒット曲で知られるディスコバンドがボニー・M。

 そして、このバンドの最大の特徴が「口パク」だったのだ。そもそも「ボニー・M」とはファリアン自身が歌う際の変名であり、パフォーマンスでマイクを持つ男性、ボビー・ファレルは実際に歌っていない。それでデビュー曲の「ダディクール」から世界中で大ヒットを連発した伝説のバンドなわけだ。そして、この成功体験が、「口パク歌手」を作ることに罪悪感を感じさせなかったのかもしれない。

 ともあれ、ピラトゥスとモーヴァンがバックシンガーを目指していた頃、時を同じくして、ファリアンはラップを使ったダンスグループの結成を考え、チャールズ・ショウ(Charles Shaw)、ジョン・デイヴィス(John Davis)、ブラッド・ハウエル(Brad Howell)ら、有望なシンガーを集めていた。しかし、

「なんか、華がねえなぁ……」

 とぼやいていた時に2人に出会ったプロデューサーのファリアン。彼らの華やかなルックスとカリスマ性に一目ぼれ。2人をフロントマンに、他のメンバーをシンガーとするグループ「ミリ・ヴァニリ」を結成したというわけだ。バックシンガーを目指していた2人が、”影武者”のバックシンガーを率いてユニット結成とは皮肉というしかない。

 コンサートなどの際、ピラトゥスとモーヴァンは事前に録音された音源に合わせて口パクでパフォーマンスし、実際にレコードで歌うのはショウや、デイヴィスだった。そして、はなから口パクを前面に打ち出したボニー・Mと違い、なぜかミリ・ヴァニリは活動当初、その事実を明らかにしていなかった。

 ボニー・Mと同じく、あるいは実際に演奏をしない「エアバンド」として知られる日本の「ゴールデンボンバー」のように、最初から「口パク」であることを公表していたら、のちに大きな問題にはならなかったのかもしれない。

■デビューから4曲がすべてヒットチャートに!

「Milli Vanilli - Girl You Know It's True」/「Milli Vanilli」YouTubeチャンネルより

 こうしてミリ・ヴァニリは1988年に西ドイツでデビュー。1989年にアメリカでリリースされた「Girl You Know It’s True」は全米2位、その後の3枚のシングル「 Baby Don’t Forget My Number」「Blame It on the Rain」「Girl I’m Gonna Miss You」がすべて全米1位の大ヒットに。

 1990年1月に発売されたアルバム「Girl You Know It’s True」がビルボードトップ200のトップ10に41週間、チャート全体で78週間ランクイン。こうして、デビューから4曲連続で全米チャートに入るなど、ミリ・ヴァニリは大ヒット。一躍世界的なトップスターの仲間入りをしたのだ。

 そして、運命の1990年、2人はグラミー賞の最優秀新人賞を受賞することになるのだが……。

■機材トラブルで口パク発覚! これが終わりの始まりに…

「Milli Vanilli - Girl I'm Gonna Miss You (Videoclip)」/「Milli Vanilli」YouTubeチャンネルより

 

 栄えあるグラミー賞を受賞する半年ほど前の1989年7月、MTVのライブパフォーマンス中にミリ・ヴァニリをとんでもない(ある意味、予想通りの?)不幸が襲う。ハードディスクがトラブルを起こし、「Girl You Know It’s True」のサビ部分が何度も繰り替えし再生されてしまったのだ!

 2人はどうしていいかわからず、ステージから逃げ出してしまったが、観客は口パクには気づかず、コンサートは何事もなかったかのように続けられた。これが終わりの始まりだった。

 こうしたトラブルもあって、歌を歌わせてもらえないピラトゥスとモーヴァンの2人は次第にプロデューサーのファリアンと対立。2人は次のアルバムで自分達が歌うことをファリアンに要求したが、1990年11月、ファリアンは突如、2人を解雇したと発表した。

■グラミー激怒で歴史から抹殺されるピラトゥスとモーヴァン

 世間に「ミリ・ヴァニリは口パク歌手」という噂が広まり、ピラトゥスはロスアンゼルス・タイムスの取材時、口パクであることを認めてしまった。翌週、全米レコード芸術科学アカデミーは、ミリ・ヴァニリの1990年のグラミー賞の最優秀新人賞を剥奪。記録としても「1990年の最優秀新人賞は該当者ナシ」と歴史からも抹殺されてしまったのだ。

 ピラトゥスとモーヴァンの2人は、ロサンゼルスで100人以上のジャーナリストを対象に記者会見を行い、グラミー賞を返還する意向を表明。この際、実際に歌うことができることを証明するために会見場で歌ったり、ラップをしたりしたが、あまりにも下手すぎて記者たちの失笑を買ってしまった。

 さらに、この事実が明らかになると、アメリカの消費者詐欺防止法に基づいて訴訟が提起され、ミリ・ヴァニリのCD、カセット、レコード、およびシングルの購入者に払い戻しが行われた。

■紆余曲折の末、再結成の計画もさらなる悲劇が……

 その後、ファリアンは「影武者」扱いだったジョン・デイヴィス、ブラッド・ハウエルらに新しいシンガーを加えた「ザ・・リアル・ミリ・ヴァニリ」を結成、アルバム「The Moment of Truth」を1991年に発売した。

 アルバムジャケットの中央には、ピラトゥスとモーヴァンを足して2で割ったようなルックスのレイ・ホートンという人物が写っている。今回は「口パク」ではないこともあってか、このアルバムはヨーロッパでのセールスはそこそこ成功。

 一方のピラトゥスとモーヴァンは「ロブ&ファブ」を結成しデビューしたが、商業的には成功しなかった。

 事件から数年後、ファリアンはピラトゥスとモーヴァンをリードヴォーカルにして再度「ミリ・ヴァニリ」としてカムバックアルバムを制作し、復帰を目指したが、ピラトゥスはドラッグやアルコールに溺れて強盗事件を起こし、懲役3カ月の実刑を喰らい、カリフォルニアの刑務所へ。

 さらに、ピラトゥスの悲劇はこれで終わらなかった。無事出所し、復帰作のプロモーションツアーに向う前日、ドイツのホテルの一室で死亡したのだ。死因はアルコールと薬物離脱プログラムに使われる処方薬の過剰摂取だった。

 一方のモーヴァンは、2000年代にソロで復帰し、精力的に活動している。

2018年デンマークの音楽祭に登場したモーヴァン

 ミリ・ヴァニリの数奇な実話について、映画化の話が何度も立ち上がったが、現在まで公開には至っていない。2016年にはドイツでドキュメンタリー「Milli Vanilli: From Fame to Shame 」が公開された。

 なお、2022年7月、モーヴァンはFacebookで新しいドキュメンタリー映画が制作中であることを発表。グラミー賞最大の黒歴史のさらなる真相が明かされることを期待したいところだ。