■古人類学的に実在が証明された「小人族」?

再現されたフローレス人の頭部。成人男性の手と比較するとその小ささがよくわかる /画像:Emőke Dénes, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

 2003年、インドネシア東部・フローレス島の洞窟で1万3000年前〜3万8000年前とされる成人の骨格7体が発見され、ホモ・フロレシエンシス(Homo Floresiensis、フローレス人)と名付けられた。しかも、残された骨から推測される”彼ら”の身長は1~1.2メートルほどで、まさに伝説の小人族。トールキンの名作『指輪物語』に登場する小人族・ホビットから、「古代のホビット」などと話題を呼んだ。

 のちの研究でフローレス人がこの島に存在していたのは、ホモ・サピエンスが進出する5万年前までだと判明したが、‟彼ら”の実像については、本当に新種の人類なのか、それとも単に発育上で問題を抱えた個体だったのか、専門家の間でも議論が紛糾した。

 そして2019年、今度はフィリピン・ルソン島でまったく新種の原人「ホモ・ルゾネンシス(ルソン原人)」の骨が発見され、議論は再び白熱することになる。というのも、このルソン原人も、フローレス人と同じく1・2メートルほどの‟小人族”と推測され、しかも、同じく5万年前頃に存在していたのだ。

 たまたま同じ時期の地層から、遠く離れた2つの島で、同じような‟小人族”の骨が見つかった。これが「たまたまどちらも発育不全の骨だった」で片づけられるのだろうか?

■古代のホビット族・フローレス人の末裔が撮影される? 

 2017年、インドネシアのスマトラ島北部バンダ・アチェという森林地帯で撮影された映像に“謎の小人”が映り込み、話題を呼んだ。この映像に映った“謎の小人”は、かつて現地のジャングルに生息したと言われる伝説の民族「マンテ族」と噂されており、先述のフローレス人との関連が指摘されているが、その正体は謎のままだ。

 フロレス島とスマトラ島は同じ小スンダ列島に属するが、その距離は約3000km。それだけの距離を移動できたのか、いぶかしむ人もいるだろうが、先に挙げたルソン島とはほぼ同じ距離。ましてやこちらは点々と島が連なっている。しかも、そもそも大陸側からフローレス島へ島伝いに進出した可能性が大きいので、スマトラ島にフローレス人の末裔がいてもおかしくはない。

 また、フローレス人との関連が疑われる謎の存在という点では、小型獣人系UMA「オラン・ペンデク」がこのスマトラ島には棲息しているという噂が絶えない。

※youtubeチャンネル「FREDOGRAPHY」より

■古代の小人族も天敵が「鳥」だった!?

フローレス人の天敵だった巨大コウノトリ・レプトプチロス・ロブストス

/画像:Gabriel Ugueto, CC BY 4.0 , via Wikimedia Commons

 奇妙な謎だらけの「古代の小人族」フローレス人だが、最後にひとつ、冒頭に紹介した伝説の小人族・ピュグマイオイや中国の小人との奇妙な共通点について触れておこう。東と西に遠く離れた伝説の小人族は、なぜか「鶴」が天敵という不可解な一致があったのはすでに触れたとおり。

 そして、実在した「古代の小人族」も天敵が鳥だったのだ。フローレス人と同じ時期、7万年前から5万年前のフローレス島には体高1.8メートルに達する巨大なコウノトリの古代種、レプトプチロス・ロブストスが棲息していた。身長1メートルほどのフローレス人にしてみれば、倍の大きさだ。

巨大コウノトリとフローレス人の比較想像図。絶望的な差が見て取れるだろう

/画像:I. van Noortwijk, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

 しかもこの巨鳥、主な獲物は同じくフローレス島に棲息していた小型のゾウ、ステゴドン。つまり肉食性で、ゾウよりさらに小さく狙いやすい(しかも食べやすいw)フローレス人は恰好の餌だった可能性があるのだ(注3)。翼を広げると3.6メートルにも達する巨鳥に空から襲われれば、彼らになす術はなかっただろう。

注3/現代のハゲワシなどのような死肉を漁る腐肉食動物だったという説もある。

 そして、想像図をもう一度ご覧いただきたい。長く伸びた足と嘴(くちばし)、ややほっそりとした体のライン。何かに似ていないだろうか? 勘のいい方はもうピンときただろう。そう、「鶴」だ。

 ピュグマイオイや『山海経』の小人の「遠く離れた海中の島に住む、鶴を天敵とする小人族」というイメージは、あるいは(非常に想像の翼を広げれば、だが)、太古のフローレス人の記憶がその末裔に受け継がれ、さらに、その伝説を伝え聞いた古代ギリシアや古代中国の人々が記したものかもしれない。

 いずれにしろ、伝説の小人族が実在したのか否か、その謎への興味は尽きない。さらなる研究の成果を待ちたいところだ。