■スポーツ万能少女はエリートパイロットに
アメリカの航空機パイロットで宇宙飛行士の女性、ウォリー・ファンク(Wally Funk)は1939年(昭和14年)2月1日生まれの、現在84歳。
子供の頃から飛行機に夢中だったウォリーはスポーツが得意で14歳で射撃の名手となり「Distinguished Rifleman Badge」(優秀ライフルマン賞)を受賞。全米ライフル協会はアイゼンハワー大統領に彼女を紹介し、大統領は彼女に手紙を書いた。さらにファンクは全米のスキー大会に、米国南西部を代表してスラロームとダウンヒルのレースに出場し優勝するなど様々なジャンルで才能を発揮した。
そんなスポーツ万能少女は、幼い頃からの夢に向け歩み出す。当時のご時世で女子生徒には機械工学や自動車整備を教えてくれる地元の高校がなく、16歳で高校を中退。故郷から遠く離れたミズーリ州の大学に進学。女性パイロットコースのクラスで優秀な成績を修め、1958年に飛行士資格と准学士号を取得して大学を卒業。その後も、飛行機に関する様々な資格を取得し、プロパイロットとしての道を歩み始めた。
20歳の若さでプロのパイロットとなったウォリーの最初の仕事は、なんと、アメリカ陸軍基地で初の女性飛行教官だった。しかしその後、民間航空会社3社の旅客機パイロットに応募するも、性別を理由に断られる。50年代後半から60年代初頭では、まだ女性パイロットにとって「壁」は厚かったのだ。
■人生を変える「マーキュリー13」との出会い
そんな折、ウォリーに人生を変える出会いが訪れる。
当時、アメリカは人類初の有人宇宙飛行を目指し「マーキュリー計画」を進めていた。ご時世柄、宇宙飛行士候補はすべて米海軍・空軍の男性軍人(通称「マーキュリー7」と呼ばれる)。しかし、「小柄な女性のほうが宇宙飛行士に適している!」と軍に近い医学財団が女性宇宙飛行士養成計画「Woman in Space」を立ち上げたのだ。
1961年2月、この計画に当時21歳のウォリーは志願。25歳~40歳が応募資格だったが特別に参加を許され、トップクラスの成績で卒業。13人の女性宇宙飛行士「マーキュリー13」のメンバーに選ばれたのだ。しかし、この計画は突如、米軍からの協力を断たれ、立ち消えに。「空を飛びたい」から「宇宙にまで飛んでいきたい」へと膨らんだウォリーの夢も断たれることになる。