■「普通のシングルマザー」がなぜ北極探検に?

Ada Blackjack
若き日のアイダ。この後、彼女は数奇な運命に翻弄される 画像:Wilfrid Laurier University, Canada PD,via Wikimedia Commons

 今から約100年前の1921年、一人の女性が北極圏の孤島へと向かった。数奇な運命を辿ることになるその女性とは、エイダ・ブラックジャック(24歳)。アラスカ北部などに暮らす先住民族イヌピアット(注1)のエイダは、極地探検家でも軍人でもなく、病気がちな一人息子を抱えたシングルマザー。そんな‟ごく普通”の女性が、なぜ過酷な北極探検に向うことになったのか──?

注1/米アラスカ州やカナダの北極圏に居住する先住民族。大きくはエスキモーに区分され、イヌイットとは別グループとされる。

 

 彼女が生まれたのは現在のアラスカ州ノームに近い寒村。8歳の時に父を失い、母とノームに移住してミッションスクールで英語の読み書きや料理、縫製を学んだ。後に16歳で地元の男性と結婚し、3人の子供に恵まれるが、うち2人は貧困と栄養失調が祟り幼くして亡くなった。

 

 ひとり残った息子のベネットも結核を抱えており、しかも夫は彼女と病弱な息子にたびたび暴力を働き、彼女と5歳のベネットは逃げるようにノームへ(注2)。仕事もなく無一文の彼女は、泣く泣くベネットを孤児院に預け、身に付けた裁縫の仕事を探すことに。そんな時、エイダはある「募集要項」を目にする。

注2/一部の記録では、エイダの夫は漁船事故で遭難死し、彼女は未亡人になったともある。

 

 それが彼女の運命を大きく変える“北極探検”の隊員募集だった──。

 

■息子の治療費のため探検隊に参加

ステファンソン

ウランゲリ島探検隊を組織したヴィルヒャルム・ステファンソン。後にクソ男っぷりを発揮する(嫌い)

画像:Unknown (Bain News Service, publisher), Public domain, via Wikimedia Commons

 彼女が目にしたのは、カナダ人の極地探検家ヴィルヒャルム・ステファンソンが計画した北極圏の島、ウランゲリ島遠征の隊員募集だった。その中にある「英語を喋れる先住民の隊員(といっても賄いや下働きだが)」の月給は50ドル。1920年代当時のアメリカ合衆国の中流~貧困層が400~500ドルほど(注3)、ましてやアラスカの外れ、裁縫の仕事で食いつないでいたエイダにとっては破格の給与だった。

注3/文末の資料を参照。米国民全体で500ドルほど、下層で370ドルほどだった。

 

「これで息子のベネットの治療費も稼げ、一緒に暮らすこともできる!」

 

 とエイダはこの募集に飛びついた。しかし、ノームの住民たちはこの計画自体、冷ややか目で見ていたという。というのも、ステファンソンは5年ほど前の1913年~1916年にかけて、カナダ政府の支援を受けた北極探検隊を率いたのだが(注4)、探査船や多数の隊員を失う大失敗を犯していた。

注4/カナダ北極探検隊。ナショナルジオグラフィック協会などの資金援助も受け、探査船3隻、隊員総勢100人を超す、巨大プロジェクトだった。

 

 また、ウランゲリ島はアメリカ、カナダ、イギリス、ロシアがそれぞれ領有を主張する係争地で、ステファンソンの狙いは「探検の名の下に移住の実績をつくればカナダの領有権を主張できる」というものだった。しかし、むしろトラブルを恐れたカナダ政府は資金援助をしぶり、そのため装備や食糧も不十分、隊員も極地探検の経験に乏しい若者ばかりだった。

 

■順調なスタートを切ったように見えたが……

The 1921 Wrangel Island Expedition team: Ada Blackjack, Allan Crawford, Lorne Knight, Fred Maurer, Milton Galle, and Victoria the cat.
ウランゲリ島探検隊。中央がエイダ、右隣の男に抱えられているのが相棒の猫ヴィク 画像:Internet Archive, Public domain, via Wikimedia Commons

 こうして、きな臭い予感をはらみながら、1921年9月9日、エイダとカナダ人1名、アメリカ人4名の“探検隊”を乗せた探査船シルバーウェイブ号は、ノームからウランゲリ島を目指し出港した。実はこの時、本当ならエイダとは別にイヌピアットの一家も同行する予定だったが、探検隊に待ち受ける悲劇を予感したのか、姿を現さなかったという。

 

 こうして1921年9月16日早朝、ウランゲリ島にエイダたちは上陸。さっそく拠点となるキャンプを設営し、現地での食糧調達も始まった。島は苔と丈の低い植物だけで木は一本も生えていなかったが、「ウランゲリ島は野生動物の宝庫。食糧は十分に現地調達できる」というステファンソンの言葉どおり、ホッキョクグマやホッキョクギツネ、セイウチなどの獲物がたっぷり獲れた。

 

 順調のように見えたウランゲリ島探検隊だが、欧米人の若者4人に対し先住民族で女性のエイダ1人という人間関係は波乱を含んでいた。隊員のひとりローン・ナイトが残した日記によれば、「反抗的だ」という些細な理由でエイダはテントの柱に縛り付けられ殴られたりしたという。「これも教育、教化だ」という、当時の欧米人らしい傲慢さが表れていて一言でいえば「クソ中のクソ」に尽きる。