■あるツイートで興味を惹かれ西へと爆走!

 きっかけは1本のツイートだった。4月4日の夜、ベッドでゴロゴロしながらtwitterを見ていると「7年に一度御開帳する奇妙な神像が山梨にある」「春の例大祭の2日間だけ公開される」というツイートが流れてきた。ふ~ん……見に行けたらよかったなぁ。次は7年後か、生きてるかなぁ……ん?

 貴重な御開帳の日は4月4日、5日の2日間とある。なら、まだ間に合うじゃん! 今からクルマ飛ばせば朝イチで取材して昼過ぎには東京戻れる……ムクムクと”取材魂”が燃えあがってきた(正確にはデスクワークが嫌いなだけw)。

 こんな時のために購入した取材車、通称「奇談号」(実態は15年落ちのオンボロカー)に乗り込み、深夜の中央高速を一路、西へ。目指すは謎の神像が公開される山梨県笛吹市、山梨岡(やまなしおか)神社!

■「山梨」発祥の地!驚くほど由緒ある神社

背後に控える御室山と奥に見える山梨岡神社の本殿

 どんだけかっ飛ばしたかは言えないが、朝日が昇る前に現地に到着。途中、真夜中の談合坂で一服付けながら基本情報を調べてみると、興味深いことがわかった。神像(神獣像?)が安置される山梨岡神社だが、実は「山梨」という言葉の語源になった由緒ある神社なのだ。

 社伝などによれば、崇神天皇の御代に疫病を鎮めるため三柱の神を山中に祀ったのが始まり。その後、梨の木が生える森を拓き、遷座したのが現在の社地で、そこから地名を「山梨」としたという。山梨といえば桃とブドウのイメージだったので「なんで県名が梨?」と思っていたが、こんな由来があったのだ。

 ちなみに、最初に神が祀られた現在の社地の背後の「御室山(みむろやま/みむろさん)」自体がご神体で、社伝以上に古い古代の山岳崇拝までこの神社の源流は遡るという説もある(これ、後でキーワードになるので覚えておいてください)。

■桃源郷のような神獣の郷と古社

神社へ向かう参道の脇には桃の花が満開

 夜明け前に着いたはいいものの、肝心の神社は開門前で無人。地図を見ながら周辺をグルっと廻ってみたら、なるほど、ここが古代から信仰の地だったのもよくわかった。

 東へ向かえば丹波山村を経て関東平野へ。西は甲府を抜け信州へ。さらに北西に「雁坂みち」を抜ければ武蔵国秩父へ。おそらく古代からの交易ルートの結節点だったのだろう。そうなれば当然、人が集まり、信仰の地が築かれても不思議はない。

 そんな歴史は抜きにしても、神社の周囲には桃の果樹園が広がり、集落の中の道をまっすぐ進むとご神体の御室山を背後に控えた山梨岡神社が見えてくる。ようやく神社や集落の氏子が集まり、武田信玄が出陣前に先勝祈願で必ず奉納したという「太太神楽(だいだいかぐら)」の準備が始まる。

「武田信玄ゆかりの」と聞くと興味を惹かれるが、あくまで目指すは謎の神像(神獣像)。おそらく同じ目的の方々(たぶん、ムーの記者さんもw)と御開帳を待つ。